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さかもと ゆうきち

坂本勇吉

さかもと ゆうきち

1887.4.10(明治20)〜 1936.6.19(昭和11)

大正・昭和期の婦人運動家支援者

埋葬場所: 21区 2種 35側 12番

 山梨県巨摩郡安都那村(北杜市)出身。地主の長男として生まれるが、山深い村で埋もれるのは嫌だという理由で、中学校を卒業すると貿易を学ぶために上京。 当時は地主の長男が跡を継がずに出て行くことは大変なことであった。
 横浜でドイツ染料輸入販売のバイエル社で働いている時に、高田真琴と出会い、交際を重ねて結婚した(1916入籍)。 妻の坂本真琴(同墓)の婦人運動に理解を示し、'20(T9)政治法律夏期講習会に二人で参加、新婦人協会の第一種賛助会員になる。 禁酒同盟に関わり、'24頃には真琴と共に無産政党組織の準備団体である政治研究会に参加し、東京第六支部の事務所を自宅に置いた。 真琴を理解し、活動を支え、自身も婦人運動家支援者として活動を行った。'27(S2)1月に創刊された『婦人』には、「勇吉氏が真琴さんの運動に示される深い理解と熱心な後援は、怖らく婦人運動者中その比を見ない」とある。
 勇吉の許にはいつも男子学生が集まって議論していたが、'33若い男女に自宅を開放して「コスモスパーティー」を発足、会名は宇宙と花のコスモスとかけて勇吉が命名した。 胃潰瘍により急逝するまで、真琴の真のパートナーであり続けた。享年49歳。

<新婦人協会の人びと>
<永原紀子先生より情報提供>


*墓石に刻された「墓碑」の字は坂本真琴の筆。

*墓石の右側に墓誌があり、墓誌には早死した次女の龍江、勇吉、真琴の順に坂本姓が並び、それ以降は、長女の瑞江の夫の加納貞三、加納瑞江と続く。


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