富山県上市町出身。青木作蔵の二男。旧姓は青木。旧名は竹次郞。若齢で志を持ち上京して、四谷伝馬町の布袋屋呉服店に入り、忠実精励によく働き店主が認める人物となる。店主の西條己之助(初代清兵衛)の懇請により三女の千代の婿養子となる。これにより青木姓から西條姓に代え、西條竹次郎とした。
1910(M43)店主没後、西條家の家督を相続して、布袋屋を受け継ぎ、呉服太物商の経営の重任となる。また名を竹次郎から二代目 西條清兵衛と改名した。事業の傍ら、東京染織会社取締役や、四谷区会議員なども務める。
関東大震災後の都市開発で急速に栄えた新宿の地に進出して、1926.10(T15) 東京市四谷区新宿三丁目に株式会社ほてい屋を創設(新宿三丁目交差点の北西の角)。本館1400坪、附属建物200坪、地下1階、7階建ての大型店の新宿ほてい屋百貨店を開業し店主となる。
創業間もなく、'27.3(S2) から発生した昭和金融恐慌の煽りを受けるも、手狭になった店舗の拡大のため、'29(S4)さらに500坪を増設、地下も2階に拡張した。しかし、新宿ほてい屋百貨店は徐々に経営不振に陥る。さらに、'29 アメリカに端を発して世界各国を襲った世界恐慌の煽りを受け、'30.7.16 追い込まれた西條は自死の道を選んだ。大磯で縊死(首吊り)をしたようで死後十日を経過して発見された。享年49歳。急死に伴い、急きょ妻の千代が経営を引き継いだ。
新宿ほてい屋百貨店はその後も経営難は続くもかろうじて営業を続けていた。そんな折、近い将来のほてい屋の買収を視野に入れ、建物の外観を先に建つ ほてい屋に似せ、各階の床の高さを揃えるといった設計の基、'33 ほてい屋の西隣りに伊勢丹新宿店が創業した。'35 伊勢丹の狙い通り、ほてい屋は伊勢丹に買収され組み込まれる形で消滅した。買収に成功した伊勢丹は、すぐさま店舗を一体化する改装をおこない、'36.3 増築を完成させ現在に至る。