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さど たかし

佐渡 卓

さど たかし

1896(明治29)〜 1984.2.9(昭和59)

大正・昭和期の実業家(日本国土開発)

埋葬場所: 12区 1種 1側

 島根県隠岐郡海士町菱浦出身。佐渡善一郎・サイノの長男として生まれる。13歳で隠岐島を離れ、島根県立島根商業学校を経て、1919(T8)神戸高等商学校卒業。久原商事株式会社に入社。'23(T12)三井財閥重役の福井菊三郎(11-1-2)の3女の壽々と結婚。
 '26大阪鉄工所に移り、'30(S5)三井信託に転職した。戦後、'47三井信託代表取締役となる。'55経営能力が買われて、日本国土開発代表取締役に就任。土木建設で日本の復興を目指し、16年間社長を務めた。'71日本国土開発取締役会長。'75相談役になった。
 その後、初代会長の出光佐三を継いで、一般社団法人凌霜会2代目会長に就任した。著書に『風蘭‐随想』 (1976)、『回想佐渡卓』がある。終生、国土の発展に尽力した。
 また「大人になれば郷里のために役に立つ人になれ」という気持ちを忘れず、現在の隠岐島前高等学校の運動場三千坪の敷地買収費、及び分校から高校昇格のための校舎建設敷地一万坪の買収費を海士町に寄付。これにより高校昇格が確定した。さらに当初木造建築の予定であったが、冬場の強風で木造では損傷しやすくその後の維持管理が大変であろうと予見し、伊達島根県知事に鉄筋にするように陳情した。加えて岡旅館(佐渡旅館)跡地に小泉八雲夫妻が滞在(M23・9日間滞在)した記念に夫妻の銅像を設置。この場所は通称「佐渡公園」として整備されている。享年87歳。

<佐渡公園〜岡崎旅館跡地と佐渡卓氏〜>


*墓石正面「佐渡家墓」。後ろ左側に墓誌。墓誌には「昭和三十四年三月遠く郷里隠岐国中ノ島菱浦の墓地より謹んで祖先並びに、父の善一郎、母のサイノ遺骨と廃土を分ち迎え、ここに墓域を新修し追慕の微悦を棒く」と刻む。


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