函館出身。函館高校時代には夏の甲子園出場。早稲田大学を経て、1953(S28)毎日オリオンズ(ロッテ)に入団。入団一年目は外野手、二年目以降は捕手として活躍。背番号は4番(途中24番を挟む)。'59引退。引退後は'60ロッテコーチ。
一時解説者として活動後、'70南海の野村克也がプレーイングマネージャーに就任した際に、根性野球ではなく頭脳野球の理解できる人材として全く無縁であった南海のコーチとして招聘された(〜'73)。'74荒川博がヤクルト監督に就任したのを機に広岡達朗と共にコーチ(〜'75)。
ユニフォームを脱いだ後は、解説者として活動し、その傍らで、野球に関する著述家として活動した。『少年野球教室』『ぼくらの野球教室』など「野球上達シリーズ」を手がけ、多くの野球少年に向けた著作物を刊行。
また、『日本プロ野球不滅の名勝負』『栄光のオールスターゲーム』『小さな大打者若松勉』『激闘の日本シリーズ30年史』などのフィクション本も多く刊行した。癌で死去。享年58歳。戒名は覺證院智嶽康圓居士。
長男はプロゴルファーの沼澤聖一(1945-)、長女は女優の篠ひろ子(1948-)、次男はゴルフクラブ設計家の沼澤雄二(1951-)、三男はロックバンドのドラマー沼澤尚(1960-)。孫にJリーガーの青山隼(名古屋グランパスエイト)がいる。
*子とされる沼澤聖一、篠ひろ子、沼澤雄二の年齢から康一郎の子ではないと推測される。親子関係の真相は調査中。
*沼澤尚の家族を回想したインタビュー内で、母親はバスケット選手として国体優勝の主力選手として活躍し、最優秀選手でもあったと述べている。
*墓所はホームベースをかたどった墓石に沼澤康一郎と直筆が刻む。背石は墓誌となっている。
沼澤聖一 ぬまざわ せいいち
1945.12.10〜ご健在
昭和・平成期のゴルファー
宮城県仙台市出身。15歳の時にゴルフを始める。日大ゴルフ部時代に日本学生、関東学生などのタイトルを獲得した。
1968(S43)プロ協会入会。'75沖縄クラシック優勝。日本プロゴルフ協会のツアーディレクター、杜の都キッズスクール校長、テレビ解説者などとして活躍している。
篠ひろ子 しの ひろこ
1948.3.8〜ご健在
昭和・平成期の女優
宮城県仙台市出身。本名は西山博子。一時期、篠ヒロコで活動した。
東北学院大学2年在学中に旧姓の沼沢博子で、東北放送「ホリデイ・イン・センダイ」 のホステス役でデビュー。
1973(S48)「時間ですよ」でテレビ初出演。その後、'74「寺内貫太郎一家」、'85「毎度おさわがせします」、'90「ニューヨーク恋物語」、'97「彼 -KARE-」など多くのドラマに出演した。
'93第4回40代部門日本ジュエリーベストドレッサー賞。プライベートでは'92直木賞作家である伊集院静と結婚した。
なお、夫である伊集院静にとっては3回目の結婚であるが、2回目の結婚の相手は夏目雅子(2-1-9-2)である。
沼澤雄二 ぬまざわ ゆうじ
1951〜ご健在
昭和・平成期のゴルフクラブ設計家
宮城県仙台市出身。高校1年の時にゴルフ日本ジュニア選手権優勝。兄の聖一に続いてプロゴルファーの道を勧められるが、ゴルフクラブの魅力に惹き込まれクラブ製作の道を選ぶ。
1986(S61)港区麻布「沼沢雄二ゴルフ工房」を設立。ブリヂストンスポーツと提携しゴルフクラブ設計家として活動。1999(H10)から「ACCESS」商品の設計監修を手がけた。ゴルフクラブデザイナーの第一人者とも称される。
沼澤 尚 ぬまざわ たかし
1960〜ご健在
昭和・平成期のドラマー
東京都新宿区出身。慶応大学卒業後、1983(S58)米国にあるTOTOのドラムのジェフ・ポーカロの父親が経営する音楽学(Percussion Institute of Technology)に入学。
卒業後同校講師に就任。チャカ・カーンのツアードラマーを経て、'87ボビー・ウーマックのツアーに誘われ、'88日本ツアーにて初めて日本で演奏。この日本ツアーで初めて父の康一郎は息子の演奏を観る。翌年父は他界。
13CATSを結成。多くのバックミュージシャンも務める。2002(H14)本田雅人、塩谷哲、青木智仁とフォー・オブ・ア・カインド結成。2005シアターブルックへ加入。
<THE POLICE Column 井村純平 参考>
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