東京出身。祖父である野村専太郎(初代)が1880(M2)野村組を創業。1914(T3)初代死去により父である野村権太郎が社長を継ぎ野村専太郎(2代目)となる。
中央工学校卒業。野村組に入る。'28.1.31(S3)父の急死により、3代目社長となる。'39(S14)株式会社野村組とし、'48社名を野村工事株式会社に改称。戦前戦後のゼネコン企業を率いた。
'49.1.23第24回衆議院議員総選挙に東京1区から民主自由党公認として立候補し、立候補者数23人の定数4で争い、野坂参三(日本共産党)、井出光治(民主自由党)、浅沼稲次郎(日本社会党)に次いで4番手で初当選。
同選挙区には桜内義雄(民主党)、原彪(日本社会党)らも立候補していたが、大物を抑えての当選であった。'52.10.1第25回衆議院議員総選挙に東京1区から自由党公認として挑むも落選。
以後、'53.3.24第26回衆議院議員総選挙、'55.2.1第27回衆議院議員総選挙と東京1区から自由党公認として再選を目指し挑むが、同選挙区は定数4で、総理大臣の鳩山一郎(日本民主党)、文部大臣の安藤正純(日本民主党)、原彪(日本社会党左派)、浅沼稲次郎(日本社会党右派)がおり磐石で、毎度5番手で落選した。
選挙では不本意であったが、戦後の復興目覚しい日本の好景気も後押しし、野村工事株式会社は、'62東証二部上場となる。
しかし、'71オイルショックなどの景気不安定もあり、小田急グループと合併、社名を小田急建設株式会社へ改称。引き続き社長を続ける。
'73東証一部上場へと育てた。現在は大和ハウスグループと合併(2008)し、大和小田急建設株式会社となっている。
晩年は藤田観光顧問、明治神宮責任総代、母校である中央工学校理事長などを務めた。正5位 勲3等瑞宝章。享年90歳。
*墓石は和型で「野村家之墓」(旧漢字表記)。左側に墓誌があり、初代、2代目野村専太郎はもちろんのこと、それ以前の江戸時代後期に没した人物からの戒名、没年月日、俗名、行年が刻む。戒名は照久院殿壽邦了専大居士。妻はます(1911-2001.10.31)。
*1986.11.21(S61)野村専太郎自身が建之した「韋駄天尊堂」が新宿ワシントンホテル(東京都新宿区西新宿3丁目2番9号)の正面右にある。同地には野村専太郎・ます夫妻の像(「夫婦像」)も建っている。
*野村専太郎が私財を投じ稲足神社(いなたりじんじゃ)を東京都あきる野市菅生に建立し、その地に日本初となる「神道専用霊園」を開園した。この境内にも「夫婦像」が建つ。足の神様として有名。