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にわ せいじろう

丹羽清次郎

にわ せいじろう

1865(慶応1.9.3)〜 1957.3.7(昭和32)

明治・大正・昭和期のキリスト教伝道者

埋葬場所: 9区 1種 20側

 1882(M15)大阪教会で受洗。1883同志社神学校に入り、1890同志社を卒業。スウィフトの勧めで東京YMCA幹事となり、日本人初の主事、総主事として5年間在職。 1895〜1897同志社英学校校長を務めた。再びYMCAに戻り、日本キリスト教青年会同盟主事となり、1910京城YMCA総主事に就任した。 '21(T10)に退任するまで、朝鮮鉄道基督教青年会主事を兼ねるなど活動を展開し、'20朝鮮銀行総裁の美濃部俊吉と共に民間親善団体国際親和会を創設して幹事を務めた。 '21ワシントン軍縮会議、'25ハワイでの太平洋調査会に出席。'38(S13)朝鮮基督教連合会を設立して委員長となる。
 生涯YMCAに責献したが、特に神田の青年会館と呼ばれ、東京YMCAの育成や協力援助など草分け時代のYMCA発展に尽くした。享年91歳。

<人物レファレンス事典 日本編>


墓所

*正面の洋型墓石には「ここに眠る」と刻む。左右に墓誌があり、左側の墓誌が丹羽清次郎を筆頭にした丹羽家墓誌。墓誌は93才と刻む。右側が山田家墓誌となっている。

*丹羽清次郎の妻は すい(1963.11.9没 同墓)。三田教会などの伝道者を務めた渡辺源太・節の次女として三田屋敷町に生れる。名は須為とも書く(墓誌には「すい」)。 姉の庸子(よう)はキリスト教伝道者の海老名一郎に嫁ぐ。海老名一郎は海老名弾正(12-1-7-18)の弟。妹の敬子(けい)もキリスト教伝道者の今泉真幸に嫁いだ。 1885.7.5(M18)摂津第三会神戸教会で原田助牧師より受洗。1892神戸英和女学校卒業まえに退学して、丹羽清次郎と結婚した。


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