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にわ かねお

丹羽周夫

にわ かねお

1895.8.27(明治28)〜 1979.3.21(昭和54)

大正・昭和期の実業家(造船)

埋葬場所: 12区 1種 15側

 愛知県出身。綱吉・ふじえ(共に同墓)の長男。1919(T8)東京帝国大学工学部機械工学科卒業。三菱造船株式会社(のち三菱重工業と改称)神戸造船所に入社。 '41(S16)神戸造船所造機設計部長、'43副長、'44広島機械製作所長となる。
 戦後、'46取締役兼広島造船所長事務取扱、'49常務取締役兼長崎造船所長事務取扱を経て、'50西日本重工業株式会社('52に三菱造船株式会社と改称)社長に就任、日本経営者団体連盟常任理事も兼ねた。 '52日本産業機械工業会会長(〜'64)、'53社団法人造船協会会長(〜'55)、'54日本船舶輸出組合理事長(〜'63)、'55造船技術書議会委員(任期2年)、同年、生産技術研究奨励会理事長(〜'57)、'57社団法人日本プラント協会会長(〜'61)、'58日本機械学会会長(〜'59)を歴任。 '59三菱造船株式会社取締役会長に就任(〜'64)。同年、造船技術審議会委員(任期2年)や、雇用者議会委員(〜'60)、科学技術会議専門委員(〜'61)を務めた。
 以後、機械工業審議会委員、通商審議会委員、輸出入取引審議会委員、発明奨励審議会委員、科学技術会議議員、輸出会議議員、臨時行政調査会参与、宇宙開発審議会委員、工業所有権制度改正審議会委員、日本経営者団体連盟常任理事などを務めた。 再合同後の三菱重工業を相談役として退き、'64日本原子力研究所理事長となる。
 この間、'54東京地検特捜部は贈賄側の会長であった丹羽、副会長の土光敏夫、飯野海運社長俣野健輔(18-1-25)ら71人が逮捕された。 俣野が中心となり、政界や官界に合計2億7000万円にのぼるお金が流れたことを突き止め、巨額の贈収賄がおこなわれた事件「造船疑獄」に巻き込まれている。起訴されたが無罪となった。享年83歳。

<講談社日本人名大辞典など>


*墓石は和型「丹羽家墓」。墓誌があり名前が刻む。


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