メイン » » » 俣野健輔
またの けんすけ

俣野健輔

またの けんすけ

1897.1.8(明治27)〜 1984.10.24(昭和59)

昭和期の実業家(飯野海運)

埋葬場所: 20区 1種 58側

 鹿児島出身。1918(T7)中央大学経済学部卒。コロンビア大、ベルリン大に留学ののち、'24飯野寅吉(10-1-7)が社長を務める、飯野海運の前身の飯野商事に入社。 '48〜'64(S23〜S39)まで社長。その間、'54造船疑獄で起訴されたが無罪となった。'64会長、'83から名誉会長となった。 飯野海運の中興の祖といわれ、戦後、海運業界の再建に尽くした。'59藍綬褒章、'76勲一等瑞宝章。 プライベートでは飯野寅吉の娘と結婚。享年90歳。

<現代日本人名録 物故者編など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は大きな和型で「俣野家之墓」。墓は健輔の妻の三回忌の昭和三十八年三月十四日に健輔が建之。右側に墓誌がある。 俣野健輔の戒名は涛光院殿旭誉瑞龍健輔大居士。また、平成十五年九月に先祖代々之諸精霊を鹿児島市より改葬された旨も刻む。


【造船疑獄】(ぞうせんぎごく)
 戦争によって大打撃を受けた日本の造船業界の再建のために、政府は1947年から国が年度ごとに造船計画をきめ、財政資金を融資するという計画造船をはじめた。 この計画造船にさいし、船主の選定や融資の利子補給などについて、海運業界・造船業界と、政官界とのあいだに巨額の贈収賄がおこなわれた事件のことを「造船疑獄」という。 この事件で逮捕者は71人、在宅取調者は51人。当時の吉田内閣に大きな打撃をあたえた。

<大系日本の歴史15>


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。