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いいの とらきち

飯野寅吉

いいの とらきち

1865(慶応1)〜1949.1.31(昭和24)

明治・大正・昭和期の港湾運送事業家

埋葬場所: 10区 1種 7側

 福岡県直方市出身。早くから企業心に燃え、大阪市で石炭販売業を営む。
 1899(M32)舞鶴鎮守府の開庁とともに舞鶴に来住、飯野商会を創立して港湾荷役業を始める。 その後、成功を収め1918(T7)12月に資本金百万円をもって飯野商会を株式組織に改め、飯野商事(株)を発足する。 '21(T11)4月には海洋進出を目指し飯野汽船(株)を創立。'39(S14)12月に東亜林業(株)を起し、東南アジアに進出。 その後各社の経営合理化のため合併、分割等を行い、三大会社、飯野海運(株)、飯野重工業(株)、飯野産業(株)の基礎を築く。 また'37(S12)には中舞鶴町のために役場庁舎を新築寄贈した。享年83歳。

<舞鶴史話>
<MATSU様より情報提供>


墓所

*墓所には飯野寅吉の個人墓石が建つ。左には飯野英一の墓石が建つ。建立者は飯野雄三。

*飯野寅吉の娘と結婚し、飯野海運会長を務め尽力した人物は、俣野健輔(18-1-25)であり飯野海運の中興の祖といわれた。


【飯野港運株式会社】
 1899(M32)京都府舞鶴市に飯野商会を創業し、曳船による石炭運送業および港湾荷役業に着手。1918(T7)飯野商事株式会社を設立(飯野商会の一切の業務を継承)。1922(T11)飯野汽船株式会社を設立。 1929(S4)最初のタンカー「第一鷹取丸(1,266重量トン)」竣工。1931(S6)わが国初の本格的外航タンカー「富士山丸(初代13,586重量トン)」竣工。 1941(S16)飯野商事株式会社を飯野海運産業株式会社に商号変更し、さらに飯野汽船株式会社と合併。 1944(S19)飯野海運産業株式会社を現在の商号である飯野海運株式会社にする。 なお飯野海運産業(株)を飯野海運(株)と飯野産業(株)に分離。1949(S24) 創業者の飯田寅吉没する。享年85歳。 1956(S31)飯野産業(株)より港湾運送部門を飯野港運(株)として分離設立し現在に至る。1964(S39)シップチャンドラーとして(株)舞鶴ポートサービスを設立する。 1969(S44)タグボート会社として舞鶴曳船(株)を設立する。1979(S54)商事部門を飯野商事(株)として分離設立する。1991(H3)造船部門を(株)和田造船として分離設立。 舞鶴港は日本海側のほぼ中央に位置し、背後に京阪神経済圏を控え、対岸諸国との海上距離の利点を生かし国際貿易港として発展した。
 社章の由来は創業者の飯野寅吉の名前における飯野のイ(井)と寅吉のトを組み合わせた形がその由来だ。

<飯野港運株式会社HPより引用>


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