≪詳細な略歴をご存知の方はご一報ください≫ 1940(S15)侍医医学博士として、満洲三河地方調査班に随行。 戦後は、本務・皇室医務主管を経て、'66.2.18〜'83.10.1昭和天皇皇后両陛下の宮内庁侍医長として宮中に仕えた。 姉が嫁いだ内科学者の西野忠次郎(同墓)の養嗣子。もう一人の姉の世津子は内務官僚で政治家の大麻唯男(おおあさ ただお)に嫁いだ。 二人には子がおらず、大麻唯男の兄で剣道藩士の大麻勇次より圭子と栄子を養女として、その圭子が西野重孝の妻となる。重孝と圭子には信子、治子、千賀子の三人を儲ける。
<森光俊様より情報提供>
西野忠次郎