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ねもと まつお

根本松男

ねもと まつお

1896.3.5(明治29)〜 1983.7.26(昭和58)

明治・大正・昭和期の判事、裁判官、最後の大審院判事

埋葬場所: 6区 1種 12側 26番

 東京都出身。判事の根本松美、能司(共に同墓)の長男。
 第四高等学校を経て、1921(T10)東京帝国大学法学部法律学科卒業。法学博士。卒業後は法曹界に入り、東京地裁部長、司法省民事局第一課長、東京訴訟院部長、大津地裁所長を歴任した。
 傑出した民事裁判の実務家であるとともに、大学において教鞭をとり、『戸籍法』『人事調停法』(1939)、『改正非訟事件手續法』(1940)、『宗教団体法論』(1941)なども著した。
 '44から大審院判事に就任。終戦後、GHQにより大審院制度が廃止され現在の最高裁を頂点とする裁判制度が定められるに当って「司法権の独立」に寄与した。'47 これにより松男は最後の大審院判事を退き、最高裁判所判事職務代行となる。なお新憲法(日本国憲法)の下で、司法は最高裁判所を頂点とする体制に変わり、司法権の独立(裁判官の独立)が明確になる(憲法76条)。
 退官後は弁護士を開業した。享年87歳。

<ジャパンWHO was WHO 物故者事典1983-1987>
<墓誌碑より>


墓所

*墓石は和型「根本家之墓」、裏面「昭和九年十月建之 根本松男」。左右面は長男の根本松彦夫妻らの新しい刻みがある。右に墓誌が建ち、父で判事の根本松美の略歴から刻みが始まる。母は能司(S34.9.6没)。妻のタキらも刻む。墓所左側に長男の根本松彦が建てた「法学博士 根本松男」墓誌碑が建つ。戒名は如法院殿廓然入眞門松徳大居士。墓誌碑には松男の略歴が刻み、最後に「昭和五十九年七月 根本松彦 建之」と刻む。


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