*墓石は和型「根岸氏之墓」。右面に「昭和二十二年四月 墓域改修建之 根岸莞爾」と刻む。墓石を挟んで左右に墓誌がある。左側の墓誌に根岸莞爾の名と正三位 勲一等 陸軍主計少将の刻み、没年月日とが刻む。
墓誌には慶應2.6.30に京都で没した根岸長明から始まり、長明の妻の梅子、根岸鎮雄、鎮雄の妻の健子、鎮雄の長男の晴吉、莞爾長男の道雄、莞爾次男の朝雄、莞爾四男の卓雄、熊太郎の妻の鈴木キク子、莞爾の妻の さだ が刻む。
右側の墓誌には莞爾の子で陸上自衛隊・古河電工に勤めた根岸八州雄、妻の玉枝(存命)、朝雄の妻で東京女子大学名誉教授の根岸愛子の名が刻む。
*莞爾次男の根岸朝雄は海軍兵学校卒業(65期)の海軍少佐、真珠湾攻撃に参戦、台湾沖戦(攻406)で戦死。東京女子大学名誉教授の根岸愛子の夫。
根岸八州雄 ねぎし やすお
1919(大正8)〜 1999.1.1(平成11)
昭和・平成期の通信技師(陸軍・陸上自衛官・古河電工)
東京出身。父は陸軍主計少将の根岸莞爾(同墓)。1938(S13)中野の旧電一の士官候補生を振り出しに、陸軍士官学校を経て、通信隊として太平洋戦争に従軍。
戦後は陸上自衛隊に入隊し、'64第2代中部方面通信群長(1等陸佐)、'72(S47)防衛施設庁通信課長などを歴任し退官。
退官後は、古河電工に入社し、専ら「通信」に縁がある仕事に従事。'88退社。引退後は、東京農大園芸講座(一年間)を受講、次いで、世田谷区の老人大学で日本文化史を専攻(ニ年間)した。
ゴルフと囲碁が趣味。持病の肺気腫に加えて、晩年はヘルベスにかかり、その後遺症の神経痛で左手を患った。従4位 勲4等。享年79歳。