メイン » » » 南波正吉
なんば しょうきち

南波正吉

なんば しょうきち

1911.9.26(大正1)〜 1995.1.24(平成7)

昭和期のボート選手、実業家

埋葬場所: 7区 1種 5側

 東京出身。父は金万証券創業者で相場師の南波禮吉(同墓)で七男として生まれる。兄に金万証券社長の南波二郎(同墓 1901-1968.12.5)がいる。1935(S10)慶応義塾大学経済学部卒業。在学中の'32、第10回ロサンゼルスオリンピックのボート競技に日本代表として出場。かじ付きフォアにおいて、南波はかじを担当し、柴田梅太郎・鈴木大吉・高橋六郎・伴紀雄・村山又芳(出場せず)・河野四郎(出場せず)で挑むも敗退。敗者復活戦も敗退した。タイムは7分47秒0。
 大学卒業後は、実業団ボートチームがある古河電気工業に入社。当時の古河電気工業は日光にアイスホッケー、横浜にサッカー、バレーボール、ボートのチームを持っていた。 後に、アイスホッケー(現在のHC日光アイスバックス:古河は1999に廃部撤退)とサッカー(現在のジェフユナイテッド千葉)を会社の「社技」とした。
 選手引退後は古河電気工業に社員として働きながら、陸軍に招集されるまで母校慶応義塾大学ボート部の「コーチ」を務めた。戦後、'49(S24)頃までコーチを務めていたが、栃木県の工場に転勤になるのを機にコーチを辞した。後に古河アルミニウム工業(古河電気工業)常務。享年82歳。

<オリンピックの歴史>
<森光俊様より情報提供>
<南波正敏様より情報提供>


墓所

*墓石前面は「南波家之墓」。裏面に「昭和六年四月 南波禮吉 建」と刻む。左右に墓誌が建つ。南波正吉の刻みは右側の墓誌にある。戒名は晴月院壽櫂日正居士。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・な | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。