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なかた おとかず

中田乙一

なかた おとかず

1910.8.29(明治43)〜 1999.12.28(平成11)

昭和期の実業家(三菱地所)

埋葬場所: 22区 1種 6の2側

 北海道小樽市出身。中田乙松(同墓)の長男。小樽高等商業(小樽商大学)卒業。召集を受けて復員経験もある。 1932(S7)大蔵省入省し函館の税務署勤務を経て、'39三菱地所に転じ、総務部長、専務、副社長などを務める。
 '69社長に就任。東京丸の内のビル賃貸事業が中心だった三菱地所を総合不動産会社に転換させ、積極経営で業績をのばした。 その第一弾が、赤坂パークハウス分譲(マンション事業に進出)である。'72ニューヨーク社を設立し、'73札幌、仙台、名古屋、大阪各支店を新設 。故郷、望洋台開発の立役者ともされる。また横浜市の「みなとみらい21」構想を策定するなど、宅地開発・都市再開発事業を積極に推し進め、総合デベロッパーとして発展させる基を築いた。'74藍綬褒章。'80会長。'86取締役相談役。サンシャインシティ会長、新宿西戸山開発社長なども務めた。
 戦争で中断していた新丸ビル建設を再開するときの批判にこたえて発した「ご都合主義で信念を曲げてはいけない」という格言がある。 著書に『丸の内今と昔縮刷』。正4位 勲2等。享年89歳。

<講談社日本人名大辞典など>


墓所

*墓石は和型「中田家之墓」、裏面「昭和三十二年三月 中田乙一 建之」。右面が墓誌になっており、父の中田乙松から刻む。両親は浄土真宗の戒名が刻むが、妻の静代(T6.7.15-H2.7.14)は十字を刻み「小さき花の聖テレジア」と刻む。乙一も十字を刻み「聖ミカエル 正四位 勲二等」と刻む。左面は中田三四郎(S20.8.10-H29.2.23)が刻む。墓所内左側に墓誌が建ち、「聖アントニオ」中田隆人(S23.1.14-H30.7.20)と刻む。

*三菱地所の歴代社長には福澤諭吉の次男で新聞人の福澤捨次郎(2-1-12-5)の孫の福澤武も務めた。


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