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Nakamura Kirby Mary なかむら きるびー・めり

中村キルビー・メリ

Nakamura Kirby Mary
なかむら きるびー・めり

1877(明治10)〜 1956.8.13(昭和31)

明治・大正・昭和期の英語教育者、
早期英語教育の先駆者

埋葬場所: 9区 1種 8側

 両親は英国人、日本で生まれる。アメリカのニューヨーク・コートランド・ノーマルカレッジを卒業。
 1904(M37)慶応義塾幼稚舎で英語早期教育を開始した。'20(T9)コドモ英会話会を誕生させる。音と文字をつなぐ「フォニックス」指導法や、ダイレクト・メソッド(直接教授法)を研究し子どもたちに実施した。また、英語のスピーチ大会や英語劇の発表会を開催し新聞報道もされ注目された。日本において子どもを対象とした早期英語教育、生きた英語教育に大きな足跡を残した。
 '23 成人教育にも範囲を広げ女子部を設置した。'35 夫の中村太八郎が先立つも日本に留まり、子どもや成人女子を中心に英語教育普及に尽力した。'37(S12)芝パークセミナリと改称し、東京府の公認校となる。戦時中の苦難を乗り越え、戦後、'50 キルビー学院と改称し、学院長となる。'52 学校法人化をした。享年80歳。

<キルビー学院 学院の歩みなど>


墓所

*墓石正面「中村家之墓」、裏面「昭和六十二年秋彼岸 中村章 建之」。墓所右側に洋型「中村太八郎 / 同 キルビーメリ」、裏面「明治元年二月二十日生 昭和十年十月十七日歿」と太八郎の生没年月日が刻む。

*墓所左側に墓誌が建ち、中村太八郎から刻みが始まり、次に中村キルビー・メリが刻む。その次の中村章は中村太八郎とキルビーメリの養子となった人物であり、病理細菌学の権威の草間滋(6-1-16-31)の3男。章の長女の中村冨美子はキルビー学院理事長を務めた(ご健在であるが墓誌に俗名と戒名が刻む)。

*中村キルビー・メリの生没年を「1883-1963」とするものがあり、当HPでも長年そのように記していたが誤りであり、正しくは「1877-1956」である。また、「メリー」と伸ばして記す本も多く散見したが、墓石及び墓誌は「メリ」としているため、ここでは「メリ」と紹介しています。



第408回 普選の父 中村太八郎
早期英語教育の先駆者 中村キルビーメリ お墓ツアー


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