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ないとう やす

内藤 協

ないとう やす

1928(昭和3)〜 1988.4.4(昭和63)

昭和期の牧師

埋葬場所: 22区 1種 41側 1番

 祖父は工学者の内藤游(同墓)。大叔父はサン・テグジュペリ作の「星の王子さま」の翻訳者として著名な内藤濯。
 伝道師として活動。1968.3.3(S43)鎌倉雪ノ下教会副牧師であった内藤協は、開拓伝道を志す信徒・関係者37名が集い、新しい教会の活動を開始。これが日本キリスト教団 鎌倉恩寵教会の最初の礼拝とされる。 同年末に鎌倉市佐助1丁目に敷地と家屋を購入し伝道所をつくる。'73伝道所から教会となり、初代牧師に就任した。'82.2新会堂の献堂式を行うに至る。後に日本基督教団神奈川教区議長。
 多くの人たちを伝道した。代表的な言葉は、「宗教は阿片だという 批判が宗教には必要です マルキシズムは堂々と 反宗教であってほしいです 自分を批判する人は敵 これは全く皮相な判断です 他人は私自身にとって はるかに意味深い存在です」。59歳で天昇。 内藤協が急逝であったため、伝道師であった塩出俊三が2代目牧師に就任した。晩年の20年に牧師として歌った4行詩を綴った遺稿集『一本の道』がある。

<コンサイス日本人名事典>


墓所 實斈報國

*正面に「内藤家墓」。右側に「實斈報國」と題額された内藤游の碑が建つ。左側に墓誌が建つ。没年月日・名・享年が刻む。


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