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ながい まんすけ

永井萬助

ながい まんすけ

1879.5.8(明治12)〜 1955.4.4(昭和30)

明治・大正・昭和期の新聞記者

埋葬場所: 22区 1種 81側

 島根県出身。号は朴公。万助と表記することもある。兄の永井瓢斎(ひょうさい)も新聞記者・俳人。
 立教学院英語専修学校卒業。若い頃は松江の中学校の英語教師を勤めた。この時の教え子に、文部省の国定教科書「サクラ読本」の生みの親の井上魁がいる。
 1911(M45)外務大臣官房報告課嘱託となり、翻訳にあたる。'14(T3)東京朝日新聞社外報部にはいり論説班員を兼ね、'24 外報部長を務めた。
 編著書に『明治大正史:第2巻 外交篇』(1930)。訳書にアイオン・アイドリス『豪州の牧場王』(1943)がある。戦時中は郷里の島根県広瀬町という山間の城下町に疎開した。享年75歳。

<講談社日本人名大辞典など>


*墓石は洋型「永井家」、裏面は「此処に眠る」と題して墓誌となっている。萬助の長男で早死した永井克己(S14.9.15没・行年22)から刻みが始まる。次に萬助、萬助の妻の柳子(S35.10.25没・行年74)、萬助次男の萠二、萠二の妻の光代(H20.9.2没・享年85)が刻む。永井萠二は新聞記者として活動しながら児童文学者として多くの著作を残した。


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