千葉県出身。父の門馬将直(同墓)は1915(T4)初代の鈴木久次郎に代わり東洋精鋼合資会社社長となり、「日光」を商標登録、製品金Gと鉄Gのペン先の販売を開始し、日光ペンの鋼ペン先の製造販売を中心に発展させた実業家。母はゆき。長男として生まれる。
'48(S23)明治大学商学部卒業。父親の後を継ぐため、東洋精鋼社に入社。'60(S35)日光ボールペン製造販売を開始した。'62父である将直の死去に伴い、久直が社長に就任。
高度成長期時代に対応してペン先の需要が増え、'64資本金2千万円に増資し、日光ペン株式会社と社名を変更した。同年に日光サインペンを製造発売開始。「書く人の心で造る日光ペン」として筆記具界でシェアを確立した。
'72経営多角化の一環として調布工場敷地内に50レーンのボウリング場「ニッコウボウル」をオープン。翌年長野県駒ヶ根市に工場用地7,000坪を購入し、この頃より不動産賃貸業に参入。
'76ボウリング場をマーケットに改修し、(株)東京ドームに「後楽園ストアー」として賃貸し不動産賃貸業を開始する。'81に25m温水プールを建設し(株)東京ドームに「後楽園スイミングプール」として賃貸を開始。
'87日光ビルNo.1を調布本社工場の再開発計画に基づき隣接地に4階建ビルを建設し本社機能及び工場施設を移転する。'88日光ビルNo.2を調布に建設。(株)東京ドーム後楽園スポーツクラブ、後楽園ショッピングセンターとして賃貸開始。この年に、日光ペン株式会社は「日光ビルディング株式会社」と社名を変更した。その後もテナントビルとして竣工を拡大。'90(H2)逝去。65歳。後任の社長は門馬光直が就任した。
*墓所には大きなペン型の墓石。裏に「日光ペン創始者 門馬将直 ここに眠る」と刻む。右側に「社長門馬将直翁之像」が建つ。正面に略歴が刻む。像の裏には門馬将直の生没年月日などが刻む。左側に墓誌があり久直の戒名は悠久院直道日晃居士。母はゆき(1993.5.15歿 92歳)。
*1988(S63)日光ペン株式会社は「日光ビルディング株式会社」と社名を変更。1990(H2)門馬久直が逝去。久直の長男の門馬光直が社長に就任。時代の変化に対応する為に、筆記具の製造販売事業より貸しビル事業部門へ事業転換を計る。1991日光ペン事業部を廃業し、本格的に不動産賃貸業を展開。1994日光商事株式会社と社名を変更。2003ニビック株式会社に社名変更(ニビック=NIBIC [NIKKO BUSINESS INTEGRATED CONSULTING])し現在に至る。