東京出身。父は貴族院議員の水野直、貞子(共に同墓)の長男。旧名は邦。1924(T13)20歳の時に水野勝邦と改名した。
'28(S3)学習院を卒業し、東京帝国大学文学部に進学、中国に関する研究を行う。翌年、'29.4.30 父の急逝に伴い水野家第19代当主となり、子爵を襲爵した。大学卒業後は外務省派遣中華民国調査員、専修大学講師、外務省在支特別研究員(北京留学)、北支那開発会社調査局嘱託などを歴任した。
'39.7 貴族院議員に当選し、父が属していた研究会に入会。'40拓務省委員、'43大東亜省委員を務めた。研究会の調査部理事を務めていたこともあり、日中戦争の中、中国視察・皇軍慰問で日本と中国を36往復するなど活動。'44末、議会に出席をするため中国から日本に一時帰国をした以降は、戦局悪化のため中国に戻れず、そのまま終戦を迎えた。'47.5 華族制度廃止に伴い子爵返納と同時に貴族院議員解散のため辞職。
戦後は、立正大学経済学部教授となり中国経済を講じ、経済学部長や図書館長を務めた。終生、中国研究に携わり、停年退官後は麗澤大学で講師を務めた。また、自ら経験した貴族院議員の歴史をまとめ、貴族院研究も行い、『貴族院会派〈研究会〉史 / 明治大正編・昭和編』『貴族院子爵議員選挙の内争』などの著書も出している。享年83歳。