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みずの かつくに

水野勝邦

みずの かつくに

1904.6.27(明治37)〜 1988.1.12(昭和63)

昭和期の政治家、中国研究家、子爵

埋葬場所: 6区 1種 16側

 東京出身。父は貴族院議員の水野直、貞子(共に同墓)の長男。旧名は邦。1924(T13)20歳の時に水野勝邦と改名した。
 '28(S3)学習院を卒業し、東京帝国大学文学部に進学、中国に関する研究を行う。翌年、'29.4.30 父の急逝に伴い水野家第19代当主となり、子爵を襲爵した。大学卒業後は外務省派遣中華民国調査員、専修大学講師、外務省在支特別研究員(北京留学)、北支那開発会社調査局嘱託などを歴任した。
 '39.7 貴族院議員に当選し、父が属していた研究会に入会。'40拓務省委員、'43大東亜省委員を務めた。研究会の調査部理事を務めていたこともあり、日中戦争の中、中国視察・皇軍慰問で日本と中国を36往復するなど活動。'44末、議会に出席をするため中国から日本に一時帰国をした以降は、戦局悪化のため中国に戻れず、そのまま終戦を迎えた。'47.5 華族制度廃止に伴い子爵返納と同時に貴族院議員解散のため辞職。
 戦後は、立正大学経済学部教授となり中国経済を講じ、経済学部長や図書館長を務めた。終生、中国研究に携わり、停年退官後は麗澤大学で講師を務めた。また、自ら経験した貴族院議員の歴史をまとめ、貴族院研究も行い、『貴族院会派〈研究会〉史 / 明治大正編・昭和編』『貴族院子爵議員選挙の内争』などの著書も出している。享年83歳。

<水野直関係文書目録>
<著者略歴>
<「水野勝邦の中国研究関係資料」長谷川怜>


墓所

*墓所には二基。右側に和型「水野直墓」。左側に「水野家之墓」が建つ。「水野直墓」の右面に没年月日と戒名の法諡慎徳院殿直心諦道大居士、享年は51才と刻む。「水野家之墓」の裏面は「昭和三十三年四月三十日 水野勝邦 建之」と刻む。墓誌などはない。勝邦の前妻は桂太郎の娘婿の長島隆二の次女の可壽子(1911-1962 同墓)。後妻は中島清子。


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