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みやわき あつし

宮脇 富

みやわき あつし

1883.8.18(明治16)〜 1968.5.29(昭和43)

大正・昭和期の酪農研究家

埋葬場所: 18区 1種 12側

 島根県大田市出身。14歳で北海道に渡り、北海道大農学部の前身の札幌農学校を卒業。その後渡米し、カンザス州立農科大で酪農を研究。 世界で初めて搾乳機の実用化に成功して、機械化・経営効率化に功績を残した。帰国後は北海道大教授、国立帯広畜産大の初代学長に就任し、国内初の酪農学科を開設、近代化の道を指導。 酪農の発展に生涯をささげた。また、日本ロータリークラブの発展にも貢献した。
 2004年5月30日に、功績をたたえ、大田市鳥井町の生家に顕彰碑功績の碑文が建立された。

<山陰中央新報2004年5月31日>


墓所

*墓石は和型「宮脇 / 島村 家之墓」。左面が墓誌となっている。戒名は寂信院殿釈善行浄冨居士。妻は末子。長女の宮脇すみえの後に、島村靖三(R1.7.18歿)、島村昭子(R1.9.12歿)が並んで刻む。昭子は宮脇富の娘。島村靖三は明治乳業社長を務めた人物。

宮脇富先生像

*墓石右側に並んで「宮脇富先生像」が建つ。台座の左面「俗名 宮脇冨 昭和四十三年五月二十九日歿」と刻む。胸像の裏には「宮脇冨先生像 昭和三十四年 峯 孝 制作」と刻む。

*宮脇富の名前の漢字は「冨」と書くこともあり、墓石等は「冨」で統一されている。

みやわき あつし

*平成時代までは墓石前面は「宮脇家之墓」であったが、令和の時代より娘夫婦も同墓に眠ることになり、前面「宮脇 / 島村 家之墓」とされた。


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