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みやもり かずお

宮森和夫

みやもり かずお

1902.9.17(明治35)〜 1988.1.9(昭和63)

昭和期の銀行家(三和銀行・丸善石油)、財界人

埋葬場所: 4区 1種 41側 23番

 広島県三原市出身。丹羽家の9人兄姉の末っ子として生まれる。長姉のコトの嫁ぎ先である英文学者の宮森麻太郎(同墓)の養子となる。
 麻布中学を経て、1925(T14)明治大学商学部卒業。卒業後、大阪の中堅銀行である山口銀行に入行。'33 山口銀行・鴻池銀行・三十四銀行の3銀行は財閥系銀行に対抗すべく合併して三和銀行が誕生。そのまま行員として三和銀行で勤務。戦後、GHQにより財閥銀行と同様に扱われ経営者が追放されそうになるが、ピープルズ・バンクであることを力説し除外される。大衆から預金獲得に全行をあげて努力し、'49 預金順位3位に到達している。
 '48 堀留支店長、銀座支店長などを経て、'53 大阪本店業務部長に昇進すると、部の業務を従来の宣伝事業に留めず積極的預金獲得諸事業にまで拡大し、その結果、三菱銀行を抜いて富士銀行に次ぐ預金高達成に繋がった。
 '56(S31)三和銀行取締役、'57 常務取締役、'59 専務取締役を経て、'60 取締役副頭取に就任。'64 三和グループに所属していた累積赤字が膨らみ経営危機が叫ばれていた丸善石油を引き受けることになり社長に就任。
 丸善石油は三和銀行をメインバンクとしていたが、'62 急激な事業拡大のため技術提携先だった米のユニオン石油に1500万ドル(54億円)の増資株式を引き受けてもらい、さらに米銀行団から1500万ドルの融資を受けたものの、'63 3月期決算では52億円という膨大な赤字を計上しており、経営危機にあった。前任社長や関西財界の有力者から積極的再建の適任者として乞われた。就任の第一声は「人生最後の勝負を当社再建にかける」であった。
 関西の下津、松山に加え、'63 京浜工業地帯の千葉で製油所が本格操業を開始していたので、早期再建の鍵は流通・販売体制の強化にあると考え、20万トン級の大型タンカーの用船、全国の給油所拡大・販売強化、自動車メーカーやタイヤ・バッテリーメーカーとの業務提携を進めた。'67 さらにポリエステル系繊維原料の一貫生産体制を整え、化学繊維産業のニーズに応えた。このような結果、'67 3月決算では赤字が解消し再建に成功させ、翌年にはユニオン石油からの株式買い戻しも実現した。'68 原油の確保のためアブダビの原油開発権益を獲得。'69 アラスカに原油開発の現地法人を設立した。丸善石油は高度経済成長を続ける日本経済や自動車産業の発展をエネルギー面で支える有力企業として業界でも確固たる地位を築き上げた。リスクのあるアブダビ進出を評して「民族資本結集の旗頭」、また経営手腕から「行動の経営者」と評された。
 '71 藍綬褒章。'76 丸善石油会長に退く。'82 明治大学OB経済人の集い茗水クラブ第三代会長に就任。勲2等。享年85歳。

<丸善石油・35年のあゆみ>
<「丸善石油元斜塔宮持和夫(財界人編)」白戸伸一 明治大学史資料センター>


墓所 墓所 みやもり あさたろう

*墓所入口左に「宮森家」の標石。墓所内には四基建つ。墓所正面に三基並ぶ。真ん中に宝篋印塔「為 宮森家 先祖代々菩提」、左面「昭和三十八年三月吉日 功徳主 宮森和夫」。墓所正面右に宮森麻太郎夫妻の和型墓「勧學院深潤桃潭居士 / 勧相院顕光慈薫大姉」、右面には宮森麻太郎と妻のコト(S26.4.3・行年70才)の歿年月日と行年が刻む。左面「昭和二十八年四月吉日 施主 宮森和夫」。墓所正面左に宮森和夫夫妻の和型墓「實相院興隆法和居士 / 光明院貞心法勢大姉」、右面「従四位勲二等瑞宝章」と宮森和夫の俗名と歿年月日、妻の宮森せい(H10.4.24・91才)が刻む。左面「昭和六十三年二月吉日 施主 宮森せい」。墓所右手側に宮森朝夫の和型墓「悠光院朝覺清道居士」、右面に「宮森朝夫 平成四年七月十六日 行年六十才]。左面「平成四年八月吉日 施主 宮森日出」。

*宮森和夫の妻は せい(H10.4.24・行年91)。旧姓は長峰。せいの兄は福岡裁判所長の長峰正次。宮森和夫の長男は宮森朝夫。朝夫の妻は宣子で、横河電機製作所会長の山崎厳の二女。長女のゆきは国際水産社長の立川慶男に嫁いだ。二女のみねは正金百貨店常務取締役の村上勝哉に嫁いだ。宮森和夫の三女の はる は野村證券社長の北裏喜一郎の長男で、昭和電工の北裏慎一郎に嫁いだ。

*三和銀行は地方銀行の業容が拡大して都市銀行となった銀行であり、住友銀行・大和銀行と並んで在阪三大都市銀行の一角を成していた。2001.4.2(H13)三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行が株式移転により株式会社UFJホールディングス(UFJHD)を設立し、これら三行はUFJホールディングスの完全子会社となった。上場企業としての三和銀行最後となる2001年度3月期決算が赤字であったため、UFJ銀行初代頭取に内定していた室町は退任を余儀なくされた。2002.1.15 三和銀行及び東海銀行が合併し、株式会社UFJ銀行となった(存続会社は三和銀行、本店は東海銀行の本店)。UFJ銀行は親会社のUFJHDともども三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)による救済を受けることとなり、2006.1.1 三菱UFJフィナンシャル・グループ(2005 MTFGとUFJHDが合併し発足)傘下の東京三菱銀行と合併して三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)となり、発足から僅か4年弱で発展的消滅を遂げることとなった。

*丸善石油は現在のコスモ石油。


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