メイン » » » 三宅やす子
みやけ やすこ

三宅やす子

みやけ やすこ

1890(明治23)〜 1932(昭和7)

大正・昭和期の小説家、評論家

埋葬場所: 8区 1種 16側 34番

 1910(M43)昆虫学者三宅恒方と結婚。夏目漱石・小宮豊隆に師事し小説を学んだが、21(T10)夫を失い文筆で子供を育てる決心をし、以後私小説的作品や評論を書く。 また23雑誌「ウーマン・カレント」を創刊、家庭の主婦の立場から女性問題を平易かつ自由率直に論じ、執筆・講演に活躍した。 小説では長篇「奔流」が代表作。評論集に「未亡人論」「生活革新の機至る」「我子の性教育」等がある。

<コンサイス日本人名事典>


 京都師範学校校長の加藤正矩の娘として生まれる。お茶の水高等女学校を卒業。少女時代から「女子文壇」 等に投稿。父の死後、伯父の加藤弘之(東大総長や枢密顧問官などを歴任) の庇護を受ける。 1911(M43)理学博士の三宅恒方と結婚。結婚後も夏目漱石、小宮豊隆に師事し、創作を志す。'21(T10)夫の死後、文筆生活を決意。 小説、評論、講演などに活躍し、廃娼運動や婦人参政権、教育など、現実の女性の立場から言及。代表作は『奔流』『未亡人論』など。「青鞜」 同人。

<近代文学研究叢書第33巻>
<MATHU様より情報提供>


*やす子の墓は宇野千代、長谷川時雨、佐々木房等の有志によって建てられ、東郷青児のデザインになる大理石の上面に宇野千代の筆で「人として母として作家として偉大なる女性三宅やす子ここに眠る」と刻まれている。父の正矩の出生地兵庫県出石にも分骨された。 夫である恒方の墓は青山墓地に三宅雪嶺、花圃と同じ墓地内にある。三宅恒方は三宅雪嶺の甥。なお、三宅雪嶺の娘である多美子は中野正剛(12-1-1-2)の妻である。

*やす子には長女と3人の男の子を産んだが、長男と次男は天祈。なお、長女は作家として活躍した三宅艶子である。

*三宅艶子(つやこ)は洋画家の阿部金剛と結婚したが後離婚しているため、同墓所に埋葬されている可能性は高いが現在調査中。なお、三宅艶子の娘の三宅菊子はフリーライターとして「平凡パンチ」や「アンアン」で執筆活躍している。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。