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みやけ やすこ

三宅やす子

みやけ やすこ

1890.3.15(明治23)〜 1932.1.18(昭和7)

大正・昭和期の小説家、評論家

埋葬場所: 8区 1種 16側 34番

 京都出身。旧出石藩士・洋学者の加藤正矩の娘として生まれる。旧姓は加藤。本名は三宅安子。伯父に政治学者・東大総長・枢密顧問官を務めた加藤弘之がいる。またキリスト教伝道者の河本香芽子(9-1-3-8の2)は父の加藤正矩の養女であったため、年齢差は24歳の義理の姉にあたる。15歳の時に洗礼を受けたクリスチャン。
 東京女子高等師範学校附属高等女学校(お茶の水高等女学校)を卒業。少女時代から「女子文壇」 等に投稿。父の死後、伯父の加藤弘之の庇護を受ける。1910(M43)三宅雪嶺の甥である昆虫学者の三宅恒方と結婚。結婚後も夏目漱石、小宮豊隆に師事し、創作を志す。'21(T10)チフスによって40歳の若さで夫の恒方が急死。夫を失い文筆で子供を育てる決心する。
 '23 雑誌「ウーマン・カレント」を創刊、家庭の主婦の立場から女性問題を平易かつ自由率直に論じた。「青鞜」 同人。小説、評論、講演などに活躍し、廃娼運動や婦人参政権、教育など、現実の女性の立場から言及した。
 代表作は長篇小説で朝日新聞に連載した『奔流』。ほかに『金』、『燃ゆる花びら』。評論集『未亡人論』『生活革新の機至る』『我子の性教育』『三宅やす子全集』(全5巻)などがある。未完の遺作は『偽れる未亡人』。

<コンサイス日本人名事典>
<20世紀日本人名事典>
<近代文学研究叢書第33巻など>


【説教強盗に遭う】
 1929.1.11(S4)当時東京で犯行を繰り返していた「説教強盗二世」岡崎秀之助に自宅へ侵入され金銭を奪われた。岡崎は有名人の家を襲い、三宅だけでなく、下田歌子などの家、7か所で強盗を働いていた。同.2.6 逮捕される。
 なお、当時、立ち去り際に被害者に防犯の注意をしたことから「説教強盗」として世間を賑わせていた妻木松吉を警察は追っており、岡崎は妻木の模倣犯である。朝日新聞が懸賞金も出たほど犯人逮捕が注目されていた。同.2.23 妻木も逮捕された。なお妻木は強盗65件、窃盗29件、計94件を自白し無期懲役を言い渡されたが、戦後、'47 恩赦で出所し、防犯講演家として活躍した。


正面 刻み

*やす子の墓は宇野千代、長谷川時雨、佐々木房 等の有志によって建てられ、東郷青児のデザインになる大理石の上面に宇野千代の筆で「人として母として作家として偉大なる女性三宅やす子ここに眠る」と刻む。父の正矩の出生地兵庫県出石にも分骨された。夫である恒方の墓は青山墓地(1ロ8-17)に三宅雪嶺、花圃と同じ墓所内にある。三宅恒方は三宅雪嶺の甥。なお、三宅雪嶺の娘である多美子は中野正剛(12-1-1-2)の妻である。なお伯父の加藤弘之の墓は雑司ヶ谷霊園(1種4B号3側)。

*三宅恒方とやす子の間には3男1女を儲けた。'16(T5)長男の恒雄、'19(T8)次男の恒二は早死。三男は学徒動員で戦死。長女の三宅艶子だけが残り作家として活躍した。

*三宅艶子(つやこ:1912.11.23-1994.1.17)は東京出身。三宅恒方とやす子の長女。文化学院に学ぶ。1930(S5)洋画家の阿部金剛(1900.6.26-1968.11.20)と結婚後は阿部艶子を名乗るが、1958(S33)以後は旧姓の三宅を使用した。おしゃれ、男女関係、女性の生き方などについて文筆活動を行い、テレビにもよく出演し、人生相談の回答などをした。1960年代には、アジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務長代理を務めた。  阿部金剛と離婚しているため、同墓所に埋葬されている可能性は高いが不明。娘(やす子の孫)の三宅菊子(1938-2012.8.8)も作家となり、広津和郎の松川事件取材に同行した際に知り合った被告の佐藤一と、1965 結婚。フリーライターとして「週刊平凡」「平凡パンチ女性版」「an an」「エル・ジャポン」などに執筆。息子(やす子の孫)の阿部鷲丸は彫刻家。菊子の喪主は弟の阿部鷲丸がつとめた。


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