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みやけ とくなり

三宅德業

みやけ とくなり

1873(明治6.8.3)〜 1966.7.12(昭和41)

明治・大正・昭和期の裁判官

埋葬場所: 6区 1種 3側

 岡山県出身。友野晋の二男として生まれる。旧名は友野精一。1891(M24)母方の親戚の三宅德馨の養嗣子となり、三宅姓となると同じくして、名を德業と改名。1916(T5)家督を相続。
 1896(M29)東京帝国大学法科大学卒業。卒業後、司法官試補として京橋区裁判所に勤務。次いで、判事となり、東京区裁判所、東京地方裁判所、東京控訴院判事などを歴任。1907 行政裁判所評定官に任ぜられた。行政裁判所部長を兼務。臨時法制審議会委員を務めた。'39(S14)行政裁判所長官に就任した。'42 退官。正4位 勲2等。享年92歳。

<岡山県歴史人物事典>
<人事興信録>


*墓石は和型「三宅家之墓」、左右面は墓誌となっている。墓誌の最初は長女で早死した郁から刻みが始まり、次に妻のハツ(M17.5-S9.3.10:旧姓は中西)。次は庶子の一德(M33.10-S13:生母は阿曾沼キク・辻八代次の養子となっていた)。その次に三宅德業。反対面には四女の直から刻みが始まり、次に長男でフランス語学者の三宅徳嘉が刻む。

*三宅德業は正妻のハツとの前にキクとの間に一德が誕生している。ハツと結婚後は1男4女を儲ける。長男は徳嘉。長女は早死した郁(同墓)。二女は滋(M44.3生)、三女は妙(T3.1生)、四女は直(T9.12-S19.1.21)。


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