東京しぶや出身。裁判官の三宅德業、ハツ(共に同墓)の長男(庶子を入れると二男)。
学習院高等科を経て、1941(S16)東京帝国大学文学部卒業。卒論は「言語活動と時間」。同年大学院に進む。戦後、'51 東京都立大学人文学部助教授、同.9 フランス政府給費留学生としてパリに留学。'54.3 帰国。'68 東京都立大学人文学部教授に就任。'78 学習院大学文学部フランス文学科教授に転身。'88 停年退官。
フランス語とフランス文明の研究に一生を捧げ、フランス語の普及に貢献した。特に辞書の編集に心血を注ぐ。'57(32)10年の共同作業によって完成した『スタンダード仏和辞典』は大橋保夫から「超良心的な業績」と書評された。三宅担当の発音標記は、本国フランスの辞書編集にも影響を与えたほどの画期性を持っていた。この辞書が戦後日本のフランス語利用者100万以上の人々の需要にこたえたとされる。その他の辞書『新スタンダード仏和辞典』『新和仏小辞典』の編纂に携わった。
三宅は「辞書は、単に通訳の道具たるに止まるものではない」と、基礎語について一語一語の奥にひそむ“もの”の捉え方、発想方法から、世界認識に迫るコンセプトを必要とした。この見地から20年の歳月をかけて完成したのが、監修をつとめた白水社の『ラルース仏和辞典』(2001)である。
訳書はデカルト『方法叙説』(小池健男共訳)、コンディヤック『感覚論』(加藤周一共訳)、ドルバック『自然の體系』(高橋安光共訳)、マルセル・コエン『世界のことば その構造と進化』、サミュエル・S.ド・サスイ『デカルト』(小松元共訳)、ピエール・ギロ『フランス語の成句』(窪川英水共訳)、アンドレ・マルティネ『一般言語学要理』、ベルナール・ポティエ『一般言語学 理論と記述』(南舘英孝共訳)、ベルナール・セルキリーニ『フランス語の誕生』(瀬戸直彦共訳)がある。
親交が深かった小説家の加藤周一は三宅徳嘉のことを「仏語学とその関連について何を尋ねても知らぬことはない秀才であった」と回想記『羊の歌』で評している。享年86歳。フランス語学者として存命中に単著を出版していなかったが、遺著『辞書、この終わりなき書物』(2006)が初めての単著となった。