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みつい ゆきお

三井幸雄

みつい ゆきお

1938.3.3(昭和13)〜 2000.1.19(平成12)

昭和・平成期の生物物理学者

埋葬場所: 15区 1種 8側

 東京出身。父は植物栄養学者の三井進午(同墓)。1961(S36)東京大学薬学部薬学科卒業。'66東京大学大学院薬学研究科薬学専攻、博士課程終了。 専門は生物物理学、X線結晶学、分子薬理学、蛋白質結晶学、蛋白質工学、構造生物学等の広範な分野で独創的な研究を行った。
 '66東京大学薬学部助手、のち助教授を経て、長岡技術科学大学教授。この間、'67〜'68シカゴ大学研究員、'68〜'69プリンストン大学研究員、'69〜'70エール大学研究員。 '88C型肝炎などに有効なインターフェロンの立体構造を世界で初めて解明した。その功績により、'94(H6)国際インターフェロン学会からミルシュタイン賞を受賞。 他に、'79(S59)「アルカリ性ブロテアーゼ、サブチリシンの阻害蛋白に関するX線結晶学的研究」により、日本結晶学会賞、「X線回折法による蛋白質・核酸の精密構造の研究」により、日本薬学会奨励賞も受賞している。 左腎盂尿管癌のため逝去。享年61歳。抗癌作用のある蛋白質のX線結晶構造解析も研究テーマの一つであったとされるのが皮肉である。

<物故事典>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓石前面は「三井家之墓」。裏面に昭和九年五月九日夜に書した刻みと、「昭和十三年九月 三井進午 建之」の刻みがある。墓石の左右には昭和三十年九月十日に三十六才の若さで亡くなった三輪恭子の辞世の句が刻む。墓所右側に墓誌がある。三井進午の父の三井賢恭、母たけの、三輪恭子、進午、幸雄、菊子の順で刻む。進午の戒名は大覚院悟雲精進居士。幸雄の戒名は秀学院慧眼幸祐居士。


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