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みつい しんご

三井進午

みつい しんご

1910.1.1(明治43)〜 1988.9.4(昭和63)

昭和期の植物栄養学者

埋葬場所: 15区 1種 8側

 東京出身。1932(S7)東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。農林省農業試験場技手となり、技師、土壌肥料部長を経て、'48東京大学農学部助教授、'52教授、'63大学院化学系研究科委員長を歴任。 アイソトープを初めて農学に利用したことで知られた。'70東京大学名誉教授となり、'83日本学士院会員。著書に『植物栄養と肥料の研究』『水田の脱窒現象』『作物の要素欠乏』などがある。 '56仁科記念賞、'60日本農学賞、'67日本学士院賞などを受賞した。享年78歳。子に生物物理学者の三井幸雄(同墓)がいる。

<物故事典>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓石前面は「三井家之墓」。裏面に昭和九年五月九日夜に書した刻みと、「昭和十三年九月 三井進午 建之」の刻みがある。墓石の左右には昭和三十年九月十日に三十六才の若さで亡くなった三輪恭子の辞世の句が刻む。墓所右側に墓誌がある。三井進午の父の三井賢恭、母たけの、三輪恭子、進午、幸雄、菊子の順で刻む。進午の戒名は大覚院悟雲精進居士。幸雄の戒名は秀学院慧眼幸祐居士。


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