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みね えんじろう

三根圓次郎

みね えんじろう

1873(明治6)〜 1935.3.18(昭和10)

明治・大正・昭和期の教育者

埋葬場所: 11区 1種 14側 17番

 長崎県大村市出身。1897(M30)東京帝国大学哲学科卒業。同年、山形県立中学校教諭になったのを振り出しに、福岡県立東筑中学校教諭、佐賀県立第三中学校、県立徳島中学校、県立山形中学校、県立新潟中学校の各校長などを歴任する。
 1920(T9)英才教育をスローガンとして高知市に設立された土佐中学校(土佐高校)初代校長として招かれた。以来亡くなるまで15年間、校長の任に就いた。土佐中学校では「健・研・倹」を掲げ全人格的教育に徹し、生徒から慈父の如く慕われた。享年61歳。

<高知県人名事典>


墓誌正面 石柱

*正面和型「三根家之墓」。裏面は「昭和十年三月十八日歿」と刻む。右に「三根家累代之墓所」と刻む石柱が建つ。左側に墓誌が建ち、戒名は廣濟院釋大圓居士。享年は63歳と刻む。妻は日光東照宮の宮司の娘のヨシ。2男3女を儲け、長男の三根徳一がディック・ミネである。墓所入口左手前にディック・ミネの「音に生きる ディックみね」と刻むレリーフ墓誌碑が建つ。碑の裏面は「人生並木路」の詩が刻む。

レリーフ 墓誌裏面

*元々は下記の写真のように「三根圓次郎之墓」であったが、平成中期に「三根家之墓」に変わった。裏面の建之日は以前と同じで変えた旨の刻みはない。

墓所


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