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みき あきら

三鬼 彰

みき あきら

1921.2.16(大正10)〜 2000.6.22(平成12)

昭和・平成期の実業家(新日本製鉄)

埋葬場所: 3区 1種 15側

 岩手県釜石市出身。祖父は岩手軽便鉄道社長で政治家を務めた三鬼鑑太郎。父は八幡製鐵の初代社長を務めた三鬼隆(同墓)の長男として生まれる。三鬼隆の弟の石井誠が岩手県塩釜の海苔問屋の石井佐助の娘のよしの婿養子となり、その娘の泰子が横浜の海苔問屋の出川誠一郎と結婚し生まれた子が、お笑いタレントの出川哲朗(出川哲朗からみて外伯父にあたる)。
 官立新潟高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。戦時中の、1943(S18)日本製鐵へ入社。'50過度経済力集中排除法により、日本製鉄が八幡製鉄、富士製鉄、日鐵汽船、播磨耐火煉瓦の四社に分割されると富士製鉄で秘書室長となった。父の三鬼隆はこの時、八幡製鉄の社長に就任している。主に総務部長など管理畑を歩んだ。
 '70八幡製鉄と富士製鉄が再合同して新日本製鉄が発足。富士製鉄側で歩んだ彰は、八幡製鉄初代社長だった父の隆の人脈を通じ社内融和に尽力。'79常務、'81専務、'83副社長に就任。以降はプラザ合意による円高不況対策などに努め、高炉休止など合理化を推進した。'87副社長から新日鉄初の副会長となり、その後に病で退任した武田豊会長の後を受けて、'89(H1)新日本製鉄会長に就任(〜'94)と同時に、日本経済団体連合会副会長(〜'97)を務めた。'94相談役。呼吸不全のため逝去。享年79歳。


*正面「三鬼隆 / 室 照代 墓」。左側に「三鬼家之墓」が建つ。妻の清子。


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