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まつなわ しんた

松縄信太

まつなわ しんた

1880.12.14(明治13)〜 1966.7.6(昭和41)

明治・大正・昭和期の機械工学者

埋葬場所: 22区 1種 8側

 新潟県上杉村大字岡田出身。東京帝国大学機械工学科を主席で卒業。アメリカ留学後、早大講師を経て、1926(T15)鉄道大臣官房研究所長となり、鉄道省のメートル法実行委員長を兼ね、メートル法の普及に尽力した。
 '49(S24)東京芝浦工業大学初代学長に就任。日本機械学会会長、溶接学会会長、日本度量衡協会会長、第2代鉄道博物館館長なども歴任した。 '59黄綬褒章、'60藍綬褒章、'65勲2等瑞宝章。主な著書に、'59『静かなる革命』、'60『ひとつ欠けているもの』、'61『現代の七不思議』、'62『私の予言』がある。享年85歳。追従3位。
 子に芝浦工業大学創立80周年記念の奨学金制度に名前が残る松縄孝(同墓)。孫にレーザー加工学者の松縄朗(同墓)。

<講談社日本人名大辞典>


*墓石は洋型「松縄家之墓」。右側に墓誌があり、俗名・没年月日・行年が刻む。


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