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まつなが もとき

松永 材

まつなが もとき

1891.1.14(明治24)〜 1968.6.17(昭和43)

大正・昭和期の右翼運動家

埋葬場所: 12区 1種 28側

 高知県出身。早大高等師範部卒業後、1919(T8)東京帝国大学文学部卒。翌年早大教授、'26国学院大学教授も兼任。
 早くからカント研究ならびに学内外での日本主義運動従事で知られ、青年学生などへ大きな影響を与えた。 '32(S7)11月に内田良平(14-1-9-12)、八幡博堂らにより創立された満蒙義塾の顧問。'33日本主義研究所を創立、所長に。 '36末、赤松克麿などと既成政党撲滅を目的に維新制度研究会を結成。 その後時局協議会の結成にも参与し、'37の6月同会の選挙法改正運動では中心的に活躍した一人。 '40大政翼賛会臨時中央協力会議議員に選任。戦後も活躍した。著書に『日本主義の理論的根拠』など。

<現代日本朝日人物事典>
<MATHU様より情報提供>


墓所

*自然墓石に「松永材之墓」と刻み、「大日本主義に生き 大日本主義に死す」という言葉が添えられている。左側に「松永家奥津城」の和型墓石、右側に墓誌が建つ。


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