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Joseph Warren Teets Mason

ジョセフ・ヴォレン・ティーツ・メーソン

Joseph Warren Teets Mason

1879.1.3(明治12)〜1941.5.13(昭和16)

明治・大正・昭和期の米国新聞人

埋葬場所: 9区 1種 20側 14番

 アメリカ人。アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューバーグ出身。
 ニューヨーク大学を卒業後ジャーナリズム界に入り、1899イギリスに渡りロンドンのスクリップス・マクレー通信の特派員となり、 のち同社ヨーロッパ支配人となった。 1907ユナイテッド・ブレス社ヨーロッパ支配人に就任したが、翌年アメリカに帰った。 帰国後はイギリスの大手新聞社デイリー・エキスプレスのニューヨーク特派員として勤務のかたわら、 第一次世界大戦中はユナイテッド・ブレスの軍事記者として活躍し、さらに戦後は同社外交記者として働いた。 ヨーロッパ在任中、哲学者のクローチェやベルグソン等と親交を結び彼等の影響の影響を受けた。 日本の末松謙松と出会い、日本の神道や王陽明思想に就いての教えを受け、それらの研究に没頭するに至った。 その成果として1928『創造的自由』や1928『創造的東洋』をそれぞれニューヨーク及びロンドンで刊行した。1932来日して各地で講演をおこない、聴衆に多大の影響を与えた。
 著作としては前記の他に『神ながらの道』があり、その多くの著作の翻訳を今岡信一良が手がけた。 1941にニューヨークで死去。日米関係が険悪な情勢であったが、本人の遺志により遺骨は日本に送り届けられた。 日本政府より勲四等旭日小綬章が授与された。安津素彦(5-1-17)は1951(S26)に『メーソンの神道論』を刊行した。

<来日西洋人名事典>


 1932(S7)来日。神道の信仰者・日本精神の鑚仰者であり、全国の神社を参拝し周り、神道及び日本に関する研究を深めた。 また、崇神神宮創建の議を力説する講演をし、神道の近代的説明・日本精神の追求する著書を出す。34勲四等旭日小綾章を授与。 太平洋戦争勃発7ヶ月前、病で急死したが、その遺言には日本での埋葬を懇願するものであり、日米交戦中、東京市の厚意により特別に許可がおりた。墓碑は友人の哲学者井上哲次郎著。

<メーソン墓碑解読>


碑


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