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まるやま ただす

丸山 督

まるやま ただす

1859(安政6.5)〜 1924.3.7(大正13)

明治期の政治家、弁護士

埋葬場所: 6区 1種 16側

 新庄藩領最上郡新庄(山形県新庄市)出身。1885(M18)代言人となり、山形市参事会員、山形県会議員を経て県会議長を歴任した。
 1890.7.1 第1回衆議院議員総選挙に山形県第4区から立憲自由党より出馬し初当選。弥生倶楽部の会派に属し1期務めた。

<新庄市史 4巻>


*妻はチセ(1860-1947)。督の長女のイサミの婿養子として丸山英彌(共に同墓)を迎える。

*墓石は和型「丸山家之墓」。裏面は「昭和四年十二月 丸山英彌 建之」。左面は墓誌となっており5人が刻む。丸山督、沖男(英彌の長男)、小村(英彌の六女)、イサミ(英彌の妻)、チセ(督の妻)。墓所左側に墓誌が建ち、墓誌は戒名と没年月日しか刻まれておらず、俗名の刻みがない。ただし、墓誌の最初の5名は墓石左面と並びが同じであり、次に丸山英彌、丸山多文(英彌の次男)とわかる。丸山督の戒名は操外院天籟玄去居士。丸山英彌の戒名は英照院徳翁清徹居士。

*代言人(だいげんにん)とは「弁護士」の旧称のことである。


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