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まるやま ひでや

丸山英彌

まるやま ひでや

1880.5(明治13)〜 1951.3.16(昭和26)

明治・大正・昭和期の銀行家

埋葬場所: 6区 1種 16側

 山形県出身。伊藤治右衛門の3男として生まれる。前名は伊勢治。旧姓は伊藤。政治家の丸山督(同墓)の長女のイサミと結婚し婿養子となり、1924(T13)家督を相続した。
 1906(M39)慶応義塾大学法律科を卒業。三菱銀行に入行。'08神戸支店の貸付課長を経て、'13(T2)本店詰となり、貸付係から庶務課長に転じ、'19 本店営業部長に就任した。営業部長を15年の長きに渡り、その重役を務めた。
 '20 財界の大暴落、'23 関東大震災、'27(S2)昭和金融大恐慌など苦難の時期も、常に経済界の推移動向に眼を向け、用意周到なる観察の下に終始営業を続け、真面目な保守的とも見らるべき堅実な人格主義に終始して業績をあげた。取引に際しても、人格第一としてその洞察力や眼光の鋭さは敬服させられる。'34(S9)取締役に就任、営業部長を兼務した。趣味は菊づくりでありプロ並みの腕前であったという。享年70歳。

<現代業界人物集>
<人事興信録>


*墓石は和型「丸山家之墓」。裏面は「昭和四年十二月 丸山英彌 建之」。左面は墓誌となっており5人が刻む。丸山督(養父)、沖男(英彌の長男)、小村(英彌の六女)、イサミ(英彌の妻)、チセ(養母)。墓所左側に墓誌が建ち、墓誌は戒名と没年月日しか刻まれておらず、俗名の刻みがない。ただし、墓誌の最初の5名は墓石左面と並びが同じであり、次に丸山英彌、丸山多文(英彌の次男)とわかる。丸山督の戒名は操外院天籟玄去居士。丸山英彌の戒名は英照院徳翁清徹居士。

*長男の丸山沖男(1907.2-1929.11.6)は慶應義塾大学在学中に逝去。二男の丸山多文(1912.4-1996.9.24)が家督を継ぐ。長女の園松は長井利雄に嫁いだ。二女の高峰は中安治郎に嫁いだ。


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