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まえだ なおぞう

前田直造

まえだ なおぞう

1883.3.10(明治16)〜 1943.4.10(昭和18)

明治・大正・昭和期の逓信官僚

埋葬場所: 12区 1種 1側

 三重県出身。前田保吉の3男。1914(T3)分家。
 一高を経て、1909(M42)東京帝国大学法科大学政治学科卒業。翌年に高等文官試験に合格し、'11 逓信省に入省し管理局書記となる。その後、通信事務官補、通信副事務官、逓信局副事務官、逓信局事務官、逓信書記官を経て、和歌山郵便局長、京都中央電話局長、北海道逓信局総務部長、熊本逓信局監察課長、同監理課長、東京逓信局規画課長を歴任し、逓信局電話課長に就任した。次いで電務局規画課長に着任。この間、'23(T12)英米両国に出張した。
 '27(S2)仙台逓信局長に任ぜられ、大阪逓信局長、東京逓信局長を務めた。'33退官。退官後は満洲電信電話株式会社の取締役となり、理事・営業部長、'38(S13)放送部長に転じ務めた。従4位 勲2等。享年60歳。

<人事興信録>


墓所

*墓石は和型「前田家之墓」、裏面「紀元二千六百年 昭和十五年十月 直造 建之」。右側に墓誌が建つ。4男の鐃(1917.10.12-1940.10.22)から始まる。次の刻みが直造であり、戒名は静明院釋了知尚直居士、「従四位 勲二等」と刻む。妻は さゑ(M22.3.22-S32.12.15)。3男で東洋史学者の前田直典(T4.11.18-S24.9.18)、7男の前田直昭(S2.11.5-H14.12.29)、5男の前田浩(T9.1.21-H19.3.8:従五位と刻む)。

*さゑの父は小津六三郎で、兄も同名の六三郎を名乗り、一志銀行、大三土地各取締役を務め当時の三重県多額納税者。


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