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まちなが しょうご

町永昭五

まちなが しょうご

1930.8.18(昭和5)〜 2013.6.28(平成25)

昭和・平成期の金融政策学者

埋葬場所: 1区 1種 2側 20番

 兵庫県神戸市出身。長く芦屋市に在住した。関西学院大学を卒業後、同大大学院に進む。アメリカ・ロチェスター大学大学院、シカゴ大学に留学。帰国後、母校の関西学院大学助教授となり、後に商学部教授。経済学博士。
 経済学者のミルトン・フリードマンの研究や、アメリカの金融政策を主として研究。日本金融学会、アメリカ学会、生活経済学会、日米協会(大阪)、国際協会ワイズメンズクラブなどに所属した。1999(H11)停年退官し、名誉教授。
 著書は多く、『商業銀行の経済的機能』(1957)、『流動性選好説と貸付資金説−パティンキンの分析』(1961)、『アメリカにおける金利政策−その効果を弱めているもの』(1961)、『フリードマンの貨幣数量説−その理論的側面』(1962)、『金融政策の効果における遅れについて』(1965)、『自由準備と貨幣供給』(1966)、『銀行準備と金融政策−グラフによる分析』(1968)、『銀行収益と金融政策』(1970)、『アメリカ金融政策論」(1972)、『連邦準備制度の独立性について−主として戦後における論争を中心に』(1973)、『現下国内金融制度の問題点』『支払準備率政策の新しい方向』(1974)、『アメリカにおける金融制度の改革について』(1977)、『支払準備率政策の新しい展開について−新準備率設定の「ねらい」』(1978)、『金融制度と金融政策の接点−アメリカにおけるふたつの支払準備制度』(1979)、『アメリカの支払準備制度と金融政策』(1980)、『規制と競争と金融政策−アメリカの金融制度改革をめぐって』(1980)、『金融政策の効果を制約するもの−主としてアメリカの場合』(1981)、『アメリカの金融政策と公定歩合』(1982)、『公定歩合政策に関する一考察--罰則利率としての公定歩合』(1983)、『金融制度の改革と政策手段の再評価』(1985)、『金融政策における公定歩合の位置−アメリカの場合を中心に』(1989)、『金融のグローバル化と制度・政策』(1991)、『金融における自由と規制−システムの不安定性に関連させて』(1992)、『預金保険制度について−金融システムの不安定化に関連させて』(1992)、『変貌する金融システムをめぐって−アメリカの場合』(1994)、『金融システムの自由と規制--再論−信組救済問題に関連させて』(1995)『銀行改革のためのシカゴ・プランと現代』(1996)、『いわゆる「財政と金融の分離」について−問題の本質は何か』(1998)、『制度と政策−金融政策の遅れの議論に関連させて』(2002)など。編著に『金融システム論−歴史,制度,政策』(1995)や、自伝に『わが留学の記−半世紀前のアメリカ』(2006)がある。
 肺がんのため逝去。享年82歳。葬儀は横浜市青葉区のカトリック藤が丘教会で営まれた。

<著者略歴>
<訃報記事など>


墓所

*墓石は和型「金谷 町永 家之墓」、裏面「昭和四年秋建之 陸軍大将 金谷範三 同室スミ子」と刻む。墓所内右側に墓誌が建ち、左側に「金谷大将之碑」が建つ。

*元々は陸軍大将の金谷範三の代々の墓であった。町永昭五の妻の妙子(1934.11.9-2014.5.9)の祖父が金谷範三の縁で多磨霊園に眠ることになったと推察する。なお、昭五が亡くなった翌年に妙子も亡くなっている。墓誌は二人が埋葬されることで建之され、金谷家と町永家が混在し、俗名・生没年月日・行年が刻む。


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