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まちだ しんいちろう

町田進一郎

まちだ しんいちろう

1884.12.13(明治17)〜 1936.3.29(昭和11)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(少将)

埋葬場所: 2区 1種 2側

 埼玉県出身。父は一等薬剤官・大阪共立薬学校 初代校長(1892-1894)を務めた町田伸(S6.1.29歿 同墓)。1907.11.20(M40)海軍兵学校卒業(35期)。 少尉候補生となり橋立乗組。'08.7.28日進乗組を経て、同.12.25少尉任官。'09.12.25砲術校普通科学生、'10.4.20水雷校普通科学生を経て、同.7.31敷島乗組となり、同.12.1中尉。 '11.4.1第11艇隊附、'12.5.22津軽乗組、'12.11.13(T1)より海大乙種学生、'13.5.24水雷校高等科学生、同.12.1大尉となり、 河内分隊長となった。
 '15.1.21桜乗組、同.12.13第2艇隊艇長 兼 水雷校教官。'16.12.1海大甲種学生となって、'18.11.26海軍大学卒業(16期)。同.12.1初霜駆逐艦長に就任。 '19.11.1水雷校教官を兼ねる。同.12.1少佐に昇進し、楓駆逐艦長。'20.7.15磐手水雷長・分隊長、'21.10.21磐手水雷長・分隊長・参本部員、'23.11.1第2水雷戦隊参謀、同.12.1中佐。 '24.12.1艦本部員・軍需局局員、'25.8.25古鷹艤装員、'26.3.31古鷹副長、同.10.15海大教官を歴任した。
 '27.11.15(S2)第9駆逐隊司令を経て、'28.12.10大佐に昇進し、神通艦長となった。 '29.11.30第12駆逐隊司令、'30.12.1古鷹艦長、'31.12.1扶桑艦長、'32.12.1日向艦長を歴任した後、'33.11.15第1水雷戦隊司令官となる。'34.11.15少将に累進。'35.11.15軍令部出仕。享年51歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧など>


*墓石は和型「町田家之墓」。墓誌がある。妻は愛子。子の町田正雄(S19.1.30歿 同墓)は、ラバウルでの勤務中の過労で発病し戦病死、中尉。 町田忠雄(S23.8.17歿 同墓)は「ギ」号作戦(ガダルカナル飛行場攻撃)三沢空編成第3小隊3番機、二飛曹・少尉だった。


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