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くわた くまぞう

桑田熊蔵

くわた くまぞう

1868.12.30(明治1.11.17)〜 1932.12.10(昭和7)

明治・大正・昭和期の社会政策思想家

埋葬場所: 7区 1種 2側 5番

 伯耆(ほうき)(鳥取県倉吉市)出身。大地主の桑田藤十郎の長男として生まれる。弟の桑田芳蔵は後の東大教授。
 1893(M26)東京帝国大学法科卒業。労働問題を専攻。社会問題研究のため英・独・仏に留学。母校の法学部や工学部などで工業政策、社会政策を講じた。
 1897社会政策会を金井延(のぼる)、窪田静太郎(8-1-1)らと設立。労働組合運動など下からの改良をも積極的に評価する体系的な社会政策理論の確立に努める一方、工場法実現のために尽力。また、ヨーロッパの社会運動の研究においても成果をあげた。
 1904〜'18貴族院議員。この間、'12(T1)友愛会の結成時に顧問となる。以後、友愛会評議員、救済事業調査会委員、内務省社会局参与などを務めて社会諸政策についての調査、起案に力を添え、その実現に尽力した。 社会事業関係では1899頃に貧民研究会を作り、その後身の庚子会、日本赤十字社、済生会、産業組合中央会、中央融和事業協会、中央慈善協会、中央社会事業協会、中央報徳会などの理事を務めた。
 1920(T9)中央大学教授、'30(S5)中央大学経済学部長を務めた。著書に『工場法と労働保険』『工業経済論』『欧州労働問題大勢』などある。 法学博士。享年63歳。

<朝日人名辞典>
<講談社日本人名大辞典など>


*墓は蔵状で「桑田家之墓」。墓誌などその他の刻みはない。

*熊蔵の娘の二葉は政治家の町村金五に嫁ぎ、娘の千枝子は政治家(吉田茂第1次内閣の厚生大臣)の河合良成に嫁ぎ、娘の有紀子は商工省技師・東大教授の三土知芳に嫁いだ。 息子の三樹男は増島家に養子となった。増島三樹男はNEC専務や安立電気会長などを務めた人物。なお、孫にあたる人物として、町村金五の二男の町村信孝は外務大臣や内閣官房長官などを務めた政治家。河合良成の長男の河合良一は小松製作所社長。


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