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くすみ のりひさ

楠見記久

くすみ のりひさ

1941(昭和16)〜 2000.6.20(平成12)

昭和・平成期の実業家(日産シーマ開発)

埋葬場所: 12区 1種 17側

 東京出身。父は政治家の楠見義男(同墓)。1964(S39)慶応義塾大学卒業。日産本社に入社。国内営業部門、企画室を経て、商品本部主管として、'91(H3)夏に発売された2代目「シーマ」の商品開発責任者を務め、爆発的な大ヒットにつなげた。シーマの他にはセドリック、グロリアなども担当した。
 「シーマ」の構想立案は1983〜84頃の消費動向の特徴として、消費の2極分化(高級志向と実用志向)傾向があり、バブル期による高級品市場はその実購買層である高額所得者が確実に増加し拡大することが予測され、円高の昂進が「シーマ」誕生の背景にあったと回想している。
 '92.1 専務として日産の100%出資の販売子会社である日産プリンス福岡販売会社に移籍し、同年.6 社長に就任した。 2000.9.20(H12)午後8時30分頃、「社長が飛び降り自殺しようとしている」と110番通報があった。 福岡県警中央署の署員が駆けつけたところ、3階建ての本社ビルの屋上で楠見社長を社員が説得していた。 署員らも加わり、なおも説得を続けようとしたが、同9時過ぎに楠見社長は屋上から飛び降り、敷地内の駐車場に落下。病院に運ばれたが、全身を強く打ち、約1時間後に死亡した。享年59歳。自殺理由は不明とされている。

<『日産「シーマ」の企画・開発』楠見記久>
<訃報記事など>


墓所

*墓所正面に二基。左が「楠見家之墓」。右が五輪塔。右側に墓誌があり、戒名は楠豊院修記久道居士。


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