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くしだ ふき

櫛田ふき

くしだ ふき

1899(明治32)〜 2001(平成13)

昭和期の女性解放運動、平和運動指導者

埋葬場所: 11区 1種 19側

 山口県出身。父は外語大教授の山口小太郎。父の弟子であった櫛田民蔵と1917(T6)結婚。しかし、34(S9)民蔵が亡くなり35歳で未亡人となる。仕立物や保険の外交をしながら二人の子供を育てた。 作家の宮本百合子に「女手一つで子どもを育てあげたあなただから頼みたい」と励まされたことが、戦後、女性・平和運動に飛び込むきっかけになった。 戦後の46に婦人民主クラブの結成に参加、初代書記長に選ばれた。 49同クラブの委員長。55 第一回日本母親大会では日本共産党の小笠原貞子元副委員長らと共に議長団をつとめ、毎年のように日本母親大会に参加した。58から婦団連会長。62新日本婦人の会結成に参加、現在まで代表委員。 全国革新懇世話人。原水爆禁止世界大会議長団。白寿を迎えても「戦争と核兵器のない世界に」と、戦いの先頭に立ち、99におこなわれた戦争法案反対の「銀座デモ」(東京)を呼びかけ、自らも参加するなど、日本の女性たちを励まし続けた。 著書に自伝『二〇世紀をまるごと生きて』をはじめ『たくさんの足音―その一つが歩んだ道』『素敵に長生き』『八度めの年おんな』などがある。 日本共産党全国女性後援会の代表委員。 国政選挙や地方選挙のたびに日本共産党と党候補者への支持をよせた。百一歳の大往生。

<2001年2月6日(火) 「しんぶん赤旗」>
<コンサイス日本人名事典>


 


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