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くるはら けいすけ

来原慶助

くるはら けいすけ

1868(明治1.8.12)〜 1930.9.15(昭和5)

明治・大正・昭和期の教育者、著述家

埋葬場所: 3区 1種 5側

 石州(島根県石見市)出身。号は少巒。島根師範学校卒業。台湾国語学校教師をへて、1899(M32)清国の厦門(アモイ)の東亜書院の副院長兼教頭となる。
 1904日露戦争が起こると、満州軍第一軍の軍通訳官に採用され従事。日露戦争後は満洲日報社長兼主筆をつとめた。
 著作に『宰相論』『不運なる革命児前原一誠』『赤禍 共産主義真相』『黒木軍百話』『日露戦争における黒木為和臂』などがあり、日露戦争最大の功労者で知られざる孤高の軍人黒木為(8-1-2-15)の伝記は、戦史として貴重な資料とされている。東京で逝去。享年61歳。

<講談社日本人名大辞典など>


*墓石は和型「少巒 来原慶助 墓」。裏面に生没年月日と生誕地、没地が刻む。

*多くの人名辞典では明治3年生まれと書かれているが、墓石には「明治元年八月十二日生」と刻むため、ここでは墓石の刻みを尊重する。 ただし、慶応4年9月8日より明治に改元したため、生まれた8月12日は明治ではなく慶応であるが、慶応4年をもって明治元年とするとされていたため、明治元年で統一する。


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