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くらた ちぞう

倉田地三

くらた ちぞう

1917.3.24(大正6)〜 2005.11.16(平成17)

昭和・平成期の俳優

埋葬場所: 23区 1種 26側 2番

 広島県出身。父は劇作家の倉田百三(同墓)、母は百三の前妻('21離婚)の晴子(同墓)。後妻の直子(同墓)に育てられる。実母の晴子は俳優の薄田研二(高山)と再婚し、薄田つま子(後に女優)、高山象三(後に俳優)を儲けたため異母兄弟。戦後、実母の晴子と薄田は離婚をしたため、独り身になった実母の晴子と共に暮らす。
 新築地研究所卒業。舞台俳優として活躍。1959(S34)劇団・東京芸術座の創立に参加する。「蟹工船」「どん底」などに出演。大映「殺されたスチュワーデス 白か黒か」(1959)、松竹「若者はゆく −続若者たち−」(1969)、独立映画センター「さくら隊散る」(1988)の映画にも出演した。鉄腕アトムの実写版などテレビ出演もした。多臓器不全のため東京都小金井市の自宅で逝去。享年88歳。

<芸能人物事典など>


墓所
くらた ひゃくぞう 碑 ママの墓

*倉田家墓所には和型墓石が三基建つ。正面左「倉田百三之墓」、前面に「男爵 井田磐楠 書」と刻む。裏面「昭和十九年二月十二日建之 嗣子 倉田地三」と刻み、右面「戒名は戚戚院釋西行水樂居士 昭和十八年二月十二日帰出 享年五十三」と刻む。正面右「倉田家之墓」、裏面「平成十八年三月吉日 倉田芳江 建之」と刻む。倉田芳江は地三の妻。墓所左側に墓誌があり、倉田百三、後妻の倉田直子(梅窓芳月信女・S53.1.14没)、前妻の晴子との子で俳優の倉田地三の三名の戒名と生没年月日と行年が刻む(地三は俗名のみ)。墓所右側に『出家とその弟子』より採った「筆折れて いのち絶えなむ 時さへや いやさか言は むすめらみことに 百三 齋藤瀏 書」と刻む歌碑が建つ。墓所入口右手側に「ママ之墓 神田はる」の墓石が建つ。裏面「昭和四十三年四月 倉田地三 建之」、右面「雲晴院釋尼芳絹信女」俗名「高山晴子」、没年月日と行年が刻む。晴子は百三の前妻で地三の実母。


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