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くらもち しょうじろう

倉持正次郎

くらもち しょうじろう

1884.1.10(明治17)〜 1958.5.25(昭和33)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(少佐)、実業家

埋葬場所: 11区 1種 10側

 千葉県関宿出身。倉持好次郎の二男。1905.3.31(M38)海軍機関学校を卒業(13期)。海軍に奉じ累進して海軍機関少佐に任ぜられる。この間、日露戦争・第一次世界大戦の両戦争に参加し、正6位 勲4等に叙せられ小授章を授けられる。
 '19(T8)官を退き、実業界に入る。浅野物産に勤め、後に常務となる。戦後、「浅野財閥」が財閥解体されたため、'48(S23)機械専門の商事会社を倉持ら7名を発起人として、資本金48万円にて東京都品川区に会社を創設。商号を「第一実業」と定め設立。初代代表取締役に就任した。享年74歳。

<人事興信録>
<墓石刻みより>


*墓石は和型「倉持家之墓」。左面に倉持正次郎が墓所を建之した昭和10年6月までの自身の簡略歴と建之に関してが刻む。右面は倉持正次郎の長男の倉持博の簡略歴が刻む。左側に墓誌が建つ。戒名は禅道院陽山正岳居士。妻は君(M21.3.3-S39.5.25)。

*1908(M41)同郷の鈴木由哲の養女の君と結婚し三男二女を儲ける。長男の倉持博(同墓)は南満州鉄道・大蔵官僚を務めた人物。博の妻は小口勝太郎の二女のひろ(同墓)。二男の倉持智は早死(T4.8.20-T8.8.27 同墓)。三男の倉持修(T11.3.31-H16.1.29 同墓)。長女の修子は海軍機関中佐の鈴木重初(M34.9.5-S13.3.9 同墓)に嫁ぐ。二女の富子は日本勧業の銀行家の三島一夫に嫁いだ。'24(T13)兄の貞一郎より分家す。'35.6(S10)多磨霊園のこの地を当家永代の墓所として亡き二男の智の遺骸を改葬す。


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