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くぼた ゆたか

久保田 豊

くぼた ゆたか

1890(明治23)〜 1986.9.9(昭和61)

大正・昭和期の河川土木技術者、
コンサルタント

埋葬場所: 22区 1種 30側 2番

 熊本県阿蘇出身。父は阿蘇農業の開発に尽力した愿、母のみつ(共に同墓)の長男。
 1914(T3)東京帝国大学土木工学科卒業、内務省に入り河川改修工事に従事。後、水力開発事業を目論んでいた茂木惣兵衛に招かれて、天竜川その他の開発を計画した。 茂木商店倒産後は、技術コンサルタントとして水力電気の開発を志し、久保田工業事務所を設立。 朝鮮における水力開発構想を持って、日本窒素肥料(株)の野口遵(したがう)にその事業化を進言し、野口の下に朝鮮の電力事業開発に乗り出すや、たちまち、赴戦江、長津江、虚州江、鴨緑江など主要河川を開発した。 この間、鴨緑江水電社長在任のまま、'43(S18)には朝鮮電業社長にも就任し、全朝の電力運営に当り、終戦時までに計画・建設中の設備を含めると四百万キロワットに上る。 特に'41に竣工した鴨緑江水豊発電所(水豊ダム)は、当時ダム体積では世界最大の規模を誇った。この開発計画案を'36当時の朝鮮総督の宇垣一成(6-1-12-1)と朝鮮軍司令官の小磯国昭大将に説明している。
 '47(S22)コンサルタント会社である日本工営株式会社を創立し社長。 ベトナム・ラオス・インドネシア・南米・アフリカ諸国の水力発電所建設や農業水利のコンサルタント、朝鮮動乱期にGHQからの協力要請で朝鮮復興、サンフランシスコ講和条約による東南アジア外交においての賠償義務発生した際にこの事業の第一号として進出、国連のメコン川流域開発調査団のメンバーなど広く国際的に活躍し、日本の技術輸出の新しい分野を開拓した。 それら国々から顕彰又は叙勲の栄を受け、'85日本政府からも勲一等旭日大綬章を授章。後年、中近東、アフリカ、中南米など世界全域にわたり、経済技術協力につとめた。享年96歳。
 '16(T5)阿蘇郡山西村の片岡貞喜の長女の初女(のちの智子)と結婚し、一男五女を儲けた。長 女のいね子は旭ダム社長の角田吉雄に嫁し、五女のつね子はヤンマーディーゼル社長の山岡淳男に嫁した。 長男の久保田汎(同墓)は、慶応大学工科卒業後、欧州各地での勤務を経て、日本工営取締役に在任中に病を得て急逝した。 豊の妹のあきは、田上強に嫁し、その摘子の万寿男は日本工営専務取締役となった。なお、豊の弟の久保田(しゅん)は内務官僚、福井県知事、マレーシア司政長官を務め、弁護士でもある。その妻は豊の妻の妹の萩子である。

<朝日人名辞典>
<久保田家碑より>


くぼた ゆたか

*正面は久保田家之墓。左側に久保田家に関することが刻む碑、右側に墓誌がある。久保田豊の氏名の上には十字架が刻み、アルフォンソと刻む。また正三位 勲一等旭日大綬章も刻む。なお、墓石の裏面も墓誌となっており、そちらには両親の名から刻む(墓誌は豊の子から)。

*:豊の弟の名前は、「俊」という文字の部首がイ(ニンベン)ではなく、田(タヘン)を使った一文字になります。


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