大分県出身。甲能龍平の長男として生まれる。1877(M10)家督を相続す。 1889(M22)明治法律学校を卒業。三菱財閥の安田善次郎が500名の希望者を募り「共済五百名社」を設立(1880)した流れを組む共済生命保険株式会社に入り、営業部長や支配人などを務めた。 '19.8.4(T8)安田善三郎(3-1-24-5)が取締役辞任に伴い、志田鉀太郎と共に常務取締役に就任。'29(S4)共済生命保険は安田生命保険に改称している(現在の明治安田生命)。 保険実業家以外にも、第三十六銀行監査役、母校の明治大学理事、郷里の大分県教愛会監事などを歴任した。享年69歳。
<人事興信録><旧安田生命の沿革(明治安田生命)>
*蔵状の墓に「甲能家之墓」。右側に墓誌がある。墓誌は甲能順の刻みから始まり、戒名は寶徳院釋順道大居士。妻は常世(M14.9-S32.10.22・澤能哲吉の長女)、長女の駒子(M27.7-T13.7.9)、養子の勇(M25.7-T15.7.16・手島宗平の二男)、長男の久(M40.11-S57.3.24)、久の妻は京子(H18.7.1歿・87才)が刻む。
安田善三郎