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こんどう れんいち

近藤連一

こんどう れんいち

1920.9(大正9)〜 1979.5.22(昭和54)

昭和期のセメント化学者

埋葬場所: 5区 1種 21側

 祖父は実業家の近藤勝之助(同墓)。父も実業家の近藤安吉、正子(共に同墓)の長男として生まれる。
 1944(S19)東京工業大学窯業学科卒業。特別研究生として大学院に進み、助手、助教授を経て、'70 東京工業大学工学部無機材料科工学科教授に就任。材料加工学(不均一材料)講座を担当した。工学博士。
 セメント研究の第一人者であり「スラグ系セメントの製造に関する研究」で多くの論文を発表。複合材料の界面反応に関しての研究も手掛けた。石膏石灰学会において、セメント、セッコウに関する多くの論文も発表され、特に、'77「石膏と石灰」147号のスラグ特集に際しては、その企画に大きな助言を寄せられ、「鉄鋼スラグの化学」と題して貴重な資料を投稿した。'69 から石膏石灰学会理事を務めた。
 '79.5.22 北アルプス前穂高岳山頂付近にて遭難、急逝された。享年58歳。同.6.18 葬儀は東京の霊南坂教会にて執り行われた。セメント・コンクリート化学の実践的貢献者を表彰する「近藤-大門賞」として名を残している。

<石膏石灰学会会報誌 訃報記事 No161>


墓所地 近藤勝之助之墓 墓所地

*墓所には5基建つ。正面に和型4基並ぶ。右から正面「近藤家之墓」、裏面「昭和廿五年四月 近藤連一建之」。正面「近藤勝之助之墓」、裏面「昭和十年十二月十一日歿 享年七十又二」。正面「近藤元壽墓」、裏面「大正四年一月十二日歿 享年五十又二」。一番左に小さ目な和型墓石が建ち、正面に6名の戒名が刻み、右面「土州 近藤慶七 建之」、左面「明治三十九年二月納之 裕堂金五圓 志主 近藤勝之助」が刻む。墓所左側に洋型「栗原家之墓」。近藤家と栗原家の墓石の間に墓誌が建つ。墓誌は安吉次男の近藤健二から刻みが始まり、安吉の養母の近藤鶴代、勝之助の養嗣の近藤安吉、安吉長女の近藤加壽子、安吉長男の近藤連一、安吉の妻の近藤正子が刻む。また連一の長女の夫の栗原謙三が刻む。

*近藤勝之助の前妻は元壽。後妻は鶴代(1881.1-1944.12.22)。子に恵まれなかったため、安吉(1887.12-1946.8.26)を養子として迎えた。近藤安吉は近藤家と同じ同郷の高知県出身、旧姓は三宮。満州鉄道から国都建設局技術処長、満州技術協会、建設団理事長をつとめた実業家。安吉の妻は正子(1899.1-1996.5.3)。正子は岡山県出身、川上定次の長女。安吉と正子の間に2男1女を儲ける。長男が近藤連一(1920.9-1979.5.22)。次男の近藤健二(1923.9-1943.10.10)。20歳の若さで亡くなった悲しみを、父の安吉が『近藤健二遺文集』(1944)として刊行している。長女は加壽子(1924.4生)。夫は栗原謙三(2013.7.2歿)であり、夫没後は生家墓所内に栗原家墓石を整え、近藤家の墓誌に謙三も刻む。


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