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こんどう かつのすけ

近藤勝之助

こんどう かつのすけ

1863(文久3.4.8)〜 1935.12.11(昭和10)

明治・大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 5区 1種 21側

 土佐国土佐郡潮江村(高知県高知市)出身。山崎關平の二男として生まれる。生まれて間もなく、近藤慶七(同墓)の養子となる。1879(M12)家督を相続す。
 19歳の時に上京し、日本郵船会社に入る。一介の若年従業員からたたき上げ、基隆出張所長、仁川支店長、台湾支店長を経て、同社取締役となる。
 1910 川田小一郎とともに北海道の函館船渠会社を創立、川田を社長とし、自らは専務取締役となる。'23(T12)辞任し、相談役となる。
 その後、函館酸素会社の取締役など実業家として重役を担った。東京麹町区永田町2丁目の自宅で病没した。享年73歳。

<高知県人名事典>
<人事興信録>


墓所地 近藤家之墓 墓所地

*墓所には5基建つ。正面に和型4基並ぶ。右から正面「近藤家之墓」、裏面「昭和廿五年四月 近藤連一建之」。正面「近藤勝之助之墓」、裏面「昭和十年十二月十一日歿 享年七十又二」。正面「近藤元壽墓」、裏面「大正四年一月十二日歿 享年五十又二」。一番左に小さ目な和型墓石が建ち、正面に6名の戒名が刻み、右面「土州 近藤慶七 建之」、左面「明治三十九年二月納之 裕堂金五圓 志主 近藤勝之助」が刻む。墓所左側に洋型「栗原家之墓」。近藤家と栗原家の墓石の間に墓誌が建つ。墓誌は安吉次男の近藤健二から刻みが始まり、安吉の養母の近藤鶴代、勝之助の養嗣の近藤安吉、安吉長女の近藤加壽子、安吉長男の近藤連一、安吉の妻の近藤正子が刻む。また連一の長女の夫の栗原謙三が刻む。

*近藤勝之助の前妻は元壽。後妻は鶴代(1881.1-1944.12.22)。子に恵まれなかったため、安吉(1887.12-1946.8.26)を養子として迎えた。近藤安吉は近藤家と同じ同郷の高知県出身、旧姓は三宮。満州鉄道から国都建設局技術処長、満州技術協会、建設団理事長をつとめた実業家。安吉の妻は正子(1899.1-1996.5.3)。正子は岡山県出身、川上定次の長女。安吉と正子の間に2男1女を儲ける。長男の近藤連一(1920.9-1979.5.22)は東京工業大学教授・セメント化学者。次男の近藤健二(1923.9-1943.10.10)。20歳の若さで亡くなった悲しみを、父の安吉が『近藤健二遺文集』(1944)として刊行している。長女は加壽子(1924.4生)。夫は栗原謙三(2013.7.2歿)であり、夫没後は生家墓所内に栗原家墓石を整え、近藤家の墓誌に謙三も刻む。


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