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こいで しのぶ

小出 忍

こいで しのぶ

1914(大正3)〜 1991.4.27(平成3)

昭和期の牧師(ホーリネス教会の重鎮)

埋葬場所: 6区 1種 6側

 鹿児島県奄美大島出身。父で牧師の小出朋治(同墓)が半自給生活をしながら開拓伝道をしていた地で生まれる。以降は父の赴任先にて幼少期を過ごす。
 1936(S11)日本ホーリネス教会は「日本聖教会」と「きよめ教会」とに分離し、日本ホーリネス教会は消滅した「ホーリネス分裂事件」が発生し、和協分離で父は日本聖教会の牧師になる。'42.6.26 ホーリネス系3団体の治安維持法で一斉検挙で父は逮捕(ホーリネス弾圧事件)され、禁固3年の実刑判決を受け服役。家族への手紙を書くことが許されたときに「生還を願わずして死に至るまで信なれ」と書かれた手紙を受け取る。父は、'45終戦後、堺刑務所で釈放間近に病死。死因は動脈硬化症と診断されていたが、特別高等警察の拷問により死亡したとみられての獄死であった。なお拘留期間中に父を含む、菅野鋭、斉藤保太郎、辻啓蔵の4人の牧師が獄中死した。忍が父の遺体を引き取りに行き、父の意思を継いで日本基督教団の牧師になる決意を固める。
 '49(S24)車田秋次らが日本基督教団を離脱して、日本ホーリネス教団を設立した時に、「ホーリネス信仰」の宣布を使命として日本基督教団に留まり、小原十三司とともに、「ホーリネスの群」を指導する。'64〜'84ホーリネスの群の委員長を務めた。この間、日本基督教団が教団紛争と反万博闘争で揺れていた時にも指導したが、'84 結果的に、日本基督教団の悪しき感化よりホーリネスの群を守るために、日本基督教団離脱を決意するに至る。これに伴い、東京聖書学校の校長も辞す。
 '87日本基督教団を離脱した教会でホーリネスの群教会連合を設立、中央委員長を務める。'88.5.6 ホーリネス福音同志会を結成し、ホーリネスの群教会連合と合同して、ウェスレアン・ホーリネス神学院の運営に当たることになり、初代院長に就任した。
 主な著書に、'90(H2)自伝『小出忍とその時代』の他、『昭和の殉教者 : 小出朋治の生涯』、『ホーリネスの群と教団の奇跡』、『ホーリネスの群略史』があり、訳書にアンドリュー・マーレー『神を待ち望め』を刊行している。
 '91(H3)逝去。享年77歳。没後、教会連合は統合されて、翌'92.6.26 弾圧記念50周年記念日にウェスレアン・ホーリネス教会連合が設立された。11年後、2003.3 教団新規を決議して、ウェスレアン・ホーリネス教団として新たな歩みを開始している。

<ウェスレアン・ホーリネス教団「信仰告白解説」など>


墓所

*墓所には二基建ち、右側は自然石「故 小出朋治 牧師 之 墓」、裏面は小出朋治の略歴が刻む。左側は洋型「小出家」。裏面が墓誌となっており、氏名と没年月日、享年が刻む。


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