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こでら しんいち

小寺新一

こでら しんいち

1883.5(明治16)〜 1949.12.10(昭和24)

明治・大正・昭和期の実業家(三井物産)

埋葬場所: 12区 1種 1側

 東京出身。小寺勉爾、ふで(共に同墓)の長男として生まれる。小寺家は大垣藩の世臣であり、渡部勉爾が小寺ふでの婿養子となり、家督を継いだ後に東京に移った。1912(M45)家督を相続する。
 1906(M39)東京帝国大学法科大学政治科卒業。三井物産株式会に入り、本店参事付、本店営業部など歴任し、台湾台南市店次長となる。'30(S5)頃、台湾・台北支店長の時に昭和金融恐慌(世界恐慌)が起こり、国内が混乱をしているとき、「補助金を出し海外輸出を奨励せよ 日月潭で失業は緩和される」と訴えた。台湾の「金山王」と称された台湾煉瓦株式会社社長の後宮信太郎(11-1-2)、台湾銀行理事の荒木正次郎、台湾日々新聞社長の河村徹、三井物産台北支店長代理の今井精三らと台湾を中心とする不景気打開策を模索した。その後、長崎支店長などを務めた。享年66歳。

<人事興信録など>


墓所

*墓石は和型「小寺家累代墓」、台座に「大正二年五月建之」と刻む。両面は墓誌となっている。左面は父の小寺勉爾、母のふで らが刻み、右面に小寺新一、妻の清(M32.8-S43.1.1歿・行年68才)、弟の小寺又一(S43.12.31・行年81)、長男の小寺敏一(T14.1-H25.1.21歿・行年89才)らが刻む。新一の妻の清は岡山出身の佐々木源太郎の長女。墓所右側には墓石に刻みきれなくなった以降の人物が刻む。また墓石左側に小さな墓石も建つ。


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