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きたがわ あいざん

北川愛山

きたがわ あいざん

1816(文化13)〜 1891.1.10(明治24)

江戸後期・明治期の儒者、神職

埋葬場所: 26区 1種 39側

 土佐高知出身。通称は十五郎、名は茂長。北川茂実の長男。
 岡本寧浦に儒学を学び、次第に陽明学に傾倒した。 文久年間、土佐高地藩藩校致道館建設の御作事方先遺(さくじかたさきやり)に任命される。次いで、御山方先遺に転じて大坂陣屋の御木材供給方を務める。 さらに総代役や陸目付(かちめつけ)を歴任後、致道館教官となる。維新後は大属となり、藤並神社の祀官も務め、晩年は子弟を教育した。 主な著書に『図画要義』、『政記論衡』、『窮理新論』、『世運論』、『三士俊傑伝』などがある。享年76歳。

<高知県人名事典>


*墓石は正面に「北川家」と刻み、そのすぐ下が墓誌となっている。墓誌には「六代夫 十五郎茂長 1891 76」と刻む。妻は前妻が於梅(1849に22歳で没)、後妻は於朝(1890に58歳で没)。

*北川家は墓誌によると、北川新左衛門孫の又蔵良信六男の惣七郎(-1710 37)を初代として、二代は専之烝(-1763 68)、三代は惣七茂元(-1784 36)、四代は十五郎勝之(-1804 40)、五代は専八茂実(-1846 55)、六代は北川愛山である十五郎茂長、七代は茂躬(-1924 70)、八代は茂春である。北川茂春は海軍少将。


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