メイン » » » 木村治助
きむら じすけ

木村治助

きむら じすけ

1886(明治19)〜 1943.10.5(昭和18)

明治・大正・昭和期の実業家(亜麻紡績)

埋葬場所: 21区 1種 17側

≪詳細な略歴は調査中≫

 産業資材としてのリネン(亜麻)を取り扱う帝国製麻支店長を勤める。世界的に重要繊維の一である亜麻製品が日本国内での原料不足とその高価により、それを解決するために、満州国に新会社を創立発起人の一人として参画した。
 1934.3.25(S9)日満亜麻紡織会社創立に参画。木村は常務となる。社長は鉄道次官を務めていた中川正左、専務は京浜電力監査役を務めていた木場貞一郎、常務に木村のほか、住友合資理事を務めていた鷲尾勘解治が就任した。発起人にはほかに東電常務の河西豊太郎、国際通運社長の中野金次郎(6-1-9)、東洋生命社長の木村雄次、新京商議会頭の王荊山らがいた。
 関釜連絡船にて渡満中に潜水艦の雷撃を受け遭難逝去。享年57歳。没後、満州国政府より生前の満州麻業界への功により勲5位に叙せられ、柱國章を授けられた。

<中外商業新報 1934.3.17記事 −満州に原料を仰ぎ「亜麻紡績」を新設−>
<墓誌より>


墓所 石塔

*墓所入り口の右側に「木村治助家墓所」と刻む石塔が建つ。正面墓石は和型「木村家之墓」。右側に墓誌が建つ。墓石には戒名・俗名・行年。没時の簡略歴が刻む。戒名は徳光院殿満山照道居士。妻は きん。

*息子の木村景郷は、第11号海防艦勤務・海軍少尉として第二次世界大戦に参加したが、昭和19.11.10フィリピン「オルニック湾」内の海戦に於て、対空戦闘中壮烈なる戦死を遂げ、艦と運命を倶にす。戦功により中尉に昇任せうる。享年25歳。戒名は誠心院景岳光郷居士。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。